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ビジュアル文庫

陶芸の文様 高田透解説

隆盛を誇った古九谷(1648年~1652年)が絶えて凡そ二百年後、加賀・大聖寺藩(1865年~)は、九谷焼の復興を図るため、京都より永楽和全を招請しました。
本書に収録された色絵磁器の下絵(明治~大正)は、古九谷、伊万里、赤絵、色鍋島、柿右衛門のほか、
中国の影響を受けたものも見受けられるが、いずれも斬新な創作性に富み、当時の流行を知ることができます。また、当時の殖産興業政策の一環としての輸出振興は、欧米嗜好による作風も見られ興味深いものがあります。
約200点に亘る彩色下絵は、平面図、展開図、縁(フチ)文様などに構成されており、陶芸はもとより各種工芸の資料としてもまた、近代色絵磁器の傾向を知るうえでも貴重と思われます。

陶芸の文様
高田透解説

□ 判型:A6判
□ 総頁:225頁
□ ISBN 4-86152-094-5 C207

定価:1,200円+消費税
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書 評

めずらしい九谷焼の下絵集
アイデンティティの希薄さが好きだ

(前略)九谷焼は不思議な歴史を持つ。17世紀なかばに盛んになったが、わずか40年で途絶えてしまった。その後、200年もたって再興。江戸後期から幕末期にかけてのことだ。明治時代には量産による殖産興業の担い手となった。九谷焼が外貨獲得のための輸出品にもなったのである。しかも九谷でつくられたのはいわゆる古九谷風のものだけでなく、伊万里や赤絵、色鍋島など他地方のデザインのものも多い。そのため、イミテーションの本場などと揶揄もされた。このアイデンティティの希薄なところが私は好きだ。

『陶芸の文様』は明治から大正にかけての九谷(新九谷)の下絵を集めたもの。陶磁器の写真集ならよくあるが、下絵集は珍しいし、しかも文庫だ。書名には「九谷」と入っていない。しかも高田透のテキストの表題は「大聖寺伊万里」。大聖寺とは九谷焼の窯が興った加賀・大聖寺藩のことである。(中略)

新九谷の主要マーケットは欧米だった。ときにはエキゾティシズム、あるいはオリエンタリズムを逆手にとることも必要だったのだろう。九谷としてのアイデンティティが希薄なだけでなく、中国の焼き物のような文様も見える。彫刻家の山崎脩は「時の下絵職人達のさぞかしの苦労や努力も察し得る。意に反しても売るための文様であったのではないだろうかとさえ思われる」と書いているけれども、案外彼らは楽しんで疑似中国風をつくったのではないか。(中略)

器に描かれた絵を眺め、画題について思いを巡らしながらご飯をいただくのも楽しいかもしれない。いろんなことを考えながら文様集のページをめくる。(後略)
―永江朗(ながえあきら)

― 2007年 vol.6 助六 SUKEROKU「和」の手引きマガジン
「フリーライター永江朗さんのおすすめ和書レビュー」

陶芸の文様

本書に収録された色絵磁器の図案集は、かつて九谷焼の下絵として描かれたものである。ところが、その内容を見ると伊万里、色鍋島、柿右衛門、赤絵、祥瑞、安南と色々であり、なかでも伊万里、色鍋島が全体の60%を占め、古九谷はわずかに10%程度しかない。この事実は明治のはじめ頃には、大聖寺伊万里、九谷柿右衛門をはじめ、金欄手、赤呉須、染付、祥瑞などが輸出用として生産されていたことを示している。古九谷が描かれるようになったのは大正期に入ってからのことであり、この図案集はそうした明治から大正にかけての殖産興業の推移を物語っていて興味深い。

― 2007年4月号 陶説「新刊紹介」

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