vol.02
LOST & FOUND Family Photos Swept
by 3.11 East Japan Tsunami
2012年1月11日~2月11日
AKAAKA Gallery
by 3.11 East Japan Tsunami
AKAAKA Gallery
東日本大震災のあと、被災地で拾い集められた写真をきれいに洗って持ち主に返すというボランティア活動が、沿岸部の多くの市町村で行なわれている。そのひとつに、 宮城県山元町の「思い出サルベージアルバム・プロジェクト」というのがある。山元町は福島県と接する小さな町で、津波で町の総面積の37.2%が浸水した。執筆時の被災状況は、死者630人、行方不明者2人。全壊家屋は2,217戸に達していて、仮設住宅1,030戸に2,692人が暮らしている。
津波にのまれた写真は、せっかく集めても、放っておくと画像が消えてしまう。バクテリアが原因だと聞いたが、津波はただの海水とは違って、海底の沈殿物、ガソリ ン、薬品、肥料、汚水…さまざまなものが混入された濁流だから、別の理由もあるかもしれない。とにかく、画像は溶けるように消えていく。山元町で、多くの写真を拾い集めたのは、不明者の捜索にあたった自衛隊員だったそうだ。泥にまみれた写真の束は、そのまま町の体育館に山積みにされていた。それを洗浄して乾かして、さらにデジタルカメラで複写して、という作業を、プロジェクトの参加者たちは懸命に繰り返した。
集められたアルバムは泥まみれ
それでもやっぱり救えない写真はでてくる。複写技術の指導をきっかけにプロジェクトにかかわることになった写真家の高橋宗正さん(1980年生まれ)は、画像が消えてしまった写真約3万枚を借り受けて、ギャラリーに展示する「LOST & FOUND」展という活動を始めた。約1500枚を並べた第1回の展示が、東京・西麻布の赤々舎で1月11日 から2月11日まで開かれた。
同展の最終日、ちょうど震災から11か月目の日曜日。プロジェクトの世話役をしている地元在住の星和人さんと高橋さんが東京都内で開いたトークイベントに招かれて、 壇上で一緒に話した。個人的には、震災後の生活についての星さんのリアルな話がとても興味深いものだったけれど、ここでは写真をめぐる話題に絞って紹介したい。
まずは、高橋さんの切実な問いかけから。これはトークイベント以前から、何回か聞いていた。「写真家に何ができるのか。写真に何ができるのか」。震災の直後、似たような葛藤を抱いた写真家は、彼だけではなかったと思う。というより、何にも感じなかった写真家はいないだろう。被災地を撮る撮らないに関係なく。僕も同じように「新聞記者に何が」と考えたし、音楽家も、営業マンも、画家も、コメディアンも、みんなきっとそうだったはずだ。この問いかけは「人生とは何か」というような種類のもので、明確に答えることなんてできない。おそらくは一生をかけて、向き合い続けるべき問いなのだ。ただ、いま、この時点で、記録しておくべき断片がいくつかあるようにも思える。
筆を使って丁寧に汚れを落とす
水で洗浄して乾かす作業
「思い出サルベージ」のような活動を通じて、まず感じられたのは、私的な写真の持つ重み、それもプリントされた写真の有用性だった。家族や友人との日々を、日常の風景を記録した写真が、心の支えになる。トークイベントの直前に山元町を訪れて、 星さんに町を案内してもらった。町役場のそばにある施設で、写真の展示と返却はいまも続けられている。僕が訪ねたときも、何人かが写真を探してきていて、たまたま親子連れが娘さんの写っている集合写真を見つけたところに立ち会えた。そのうれしそうな顔を見られただけで、行ってよかったと感じた。いま、どれだけの人間が、彼女たちを笑顔にできるだろうか。
もちろん、高橋さんはプロジェクトにずっと携わってきたわけで、そういう私的な写真の有用性を十分にわかった上で、問いを投げかけている。サルベージされた写真の持つ力は、写真を職業とする人の中でも、たとえば町の写真館の仕事を再評価させ るだろう。けれども、写真を何らかの表現手段としている写真家(あえて言うなら写真作家だろうか)の「作品としての写真」の有用性を保証するものではない。たぶん、まったく文脈が違うものだろう。事実をいち早く正確に伝えることを旨とする報道写真や、インターネットを通じて避難者リストを伝えたアノニマスな数多くの写真が、震災を通じて見せた有効性も、写真家の葛藤を解消してはくれない。
検索しやすいように複写する
多くの人がボランティアで参加した
サバイバルに必要なものは、まず飲料水と食糧であり、医療であり、シェルターである。そこに写真が介在する余地はない。生きるか死ぬかというとき、カメラを手放さない人はどれぐらいいるだろう。記録は後世に資する行為かもしれないけれど、それにしても死を賭すほどのことではない。ただ、生き延びるには不要でも、生きてい くためには、文学や哲学や芸術、あるいは娯楽が必要になってくる気がする。証明しろと言われると困るのだけれど。たとえば被災地で小説が読まれている、という話を聞くと、腑に落ちるのだ。そりゃそうだよと。写真もきっと、何らかの役割を果たせるはずだ。
「LOST&FOUND」展は、作品性や作家性というものとは無関係でありながら、その役目のようなものをちゃんと示しているように思える。小さなビニールの袋に入れられて、壁を埋め尽くす、大量の写真の残骸。表現と呼んでいいのかさえ戸惑わされる行為だけれど、とにかく胸に突き刺さる。ドキュメンタリーであることは間違いないけれど、報道写真というわけではない。写真展ではあるが、作品展ではない。でも、たとえば生と死、あるいは存在と不在、そんなテーマについて、この写真ほど強く語りかけてくる「写真作品」はどれほどあるだろう。そう考えたとき、高橋さんの「写真 家に何ができるのか」という問いかけは、また別の意味を帯びる。〈3.11〉がもたら したこの体験を、いま、きちんと名付けて整理することは僕にはできないけれど、「よくわからないもの」という箱に入れて、棚ざらしにしてしまってはいけない、とは理解している。
プロデュースした高橋さん自身は飄々としていて、展示は「お金を集めるため」と話す。入場は無料だが、寄付を募るほか、1枚1000円でポスターを販売して、経費を 除いた全額を山元町の仮設住宅に届ける。住民みんなが被災していて自治会費が集められず、会合などのたびに自治会長が自腹を切っていると聞いたからだ。「それぐらいなら集められると思った」と話す。
こういうスケール感は共感できる。今回の震災で改めて確認されたことのひとつに、「つながり」の大切さというのがあるけれど、物事というのはスケールが大きくなるほど、つながり感が希薄になってくる。もちろん、橋を架けるとか、ガソリンを作るとか、ある程度の規模でなければできないこともあるけれど、逆に、少人数のほうがいいことだってあるはずだ。これまで僕らは、その小さくて深みのあるつながりを、ないがしろにしがちだった気がする。
画像が失われてしまった写真たち
「LOST & FOUND」展の展示風景
そして、等身大のスケール感というのは、高橋さんがもともと持っていた特質では ないかとも思っている。第一作品集「スカイフィッシュ」(赤々舎、2009年)の刊行記 念写真展を取材したとき、「友達が『面白い』と言ってくれるような写真が撮りたい」と話していたのを思い出す。写真学校で専門的な教育を受けて、作品を制作していたけれど、ある日、友達に「わからない」と言われた。親しい友達にさえ伝わらない写真にどんな意味があるのか、と考えさせられた。そんな話だった。
そういう写真家が、たまたま山元町に行かなければ、そして、星さんたちをはじめとする町の人たちと信頼関係を結ばなければ、この強烈な写真は、人の目に触れることもなく捨て去られていただろう。「LOST & FOUND」展は、3月8日から25日までロサンゼルスで展示され、4月2日から27 日までニューヨークのApertureギャラリーへ巡回している。
集まったお金を山元町に届けた高橋さん(左)と星さん(右)


