青幻舎マガジン

京都/拠点 : work & life in Kyoto
vol.04

お米の出来に関係なく、
毎年「最高の酒」を造るのが僕ら杜氏の仕事です
田島善史 -北川本家杜氏

 

それは、通っていた料理教室で開催された「富翁 日本酒の会」での出会いだった。小さな利き酒の会にも関わらず、そこには北川本家杜氏の田島善史さんが自らいらしてくださったのだった。スーツをきちっと着こなして、にこやかにお酒をついでくださる一方で、製法や種類についての質問には丁寧に答えてくださり、目を輝かせながら酒造りへの想いを語られていた。その後何度かお会いさせていただいたが、その熱心な姿勢は決して変わることはなく、何より会の趣向に合わせて用意してくださるお酒は、純米も吟醸も格別においしいのだった! こんな素敵な方が酒造りをする現場を見てみたい。新酒の仕込みが本格化し始めた昨年11月末、伏見の北川本家を訪ねた。

text : 山口紀子/photo: 石川奈都子

阿吽の呼吸と、見えない糸と

 「富翁(とみおう)」の酒銘で親しまれる北川本家は、坂本龍馬ファンにはおなじみの寺田屋や大手の酒蔵が立ち並ぶにぎやかな伏見の街を北西へ少し離れた大手筋沿いにある。創業は江戸初期の1657年(明暦3年)とかなり古く、宇治川沿いで「鮒屋(ふなや)」という舟宿を営んでいた初代が、お客に供するための酒を自分で醸造し始めたのがその始まりと伝わる。
 日本酒の仕込みが始まるのは、原料となる新米の収穫が終わる毎年10月頃。それは、「酒造りは毎年一回限りの真剣勝負」と話す杜氏の田島善史さんにとって、翌年3月まで続く「不眠不休の闘い」の始まりをも意味する。

 AM8:00。酒蔵を訪ねると、既に一日の作業は始まっていた。にこやかに迎えてくれた田島さんは、物腰はいつものようにやわらかながら、その眼差しはいつも以上に熱を帯びている。「はた目には、気が立っているように見えるのかもしれませんね」と照れくさそうに笑う。当然前日の夜は家に帰っていないそうで、向いの宿舎でわずかに仮眠をとっただけと言った。
 一階では、お酒を搾る際にできた酒粕の検品が、五階では、麹を造るために大量の酒米——酒造好適米・山田錦が、しゅんしゅんと蒸気を出しながら蒸されている所だった。ごはんを炊いているときのような甘い香りと、若草のような清々しい香りが漂うその傍らで、若い職人が蒸し加減をじっと見守っている。時々米を取り出して、手で平に伸ばしては蒸し加減を調べ、田島さんと確認をし合う。約1時間ほどで蒸し終わると、蒸米は、手作業で麹造りを行うために手際よく木箱へと移されていった。その傍らでは、次の酒米や、酒母造り(もろみの元)の準備が進む。次々と移り変わっていく各工程を受け持つ6人の職人たちは、時折田島さんと二言三言交わしては、各自の持ち場へ戻っていく。そのリズムのよい阿吽の呼吸は、蔵の中を行き交う「酒造り」という見えない糸を、するするとつなげていくようだった。


蒸米を造る蒸米機。
この日は麹造りのために約1トンの米が蒸されていた。

強い熱意と秘めたる決意

 70年—80年代の日本酒全盛期と異なり、現在は「少量多品種生産」の時代。純米、吟醸・大吟醸・冷やおろしなど、どのお酒をどのタイミングで仕込むか、そして日本酒ならでは複雑な工程(★1)をどう組み込んでいくか――原料の量から作業日程まで、常に計算しながら、テキパキと指示を出して酒造り全体を率いていくのが、杜氏を務めて今年で13年目となる田島さんの仕事だ。蔵内のボードには、その日の作業で必要とされる米量や水量、時間らしき数字のメモがあるだけ。後はすべて田島さんの頭の中。「正直、こうやって話しているときも、頭の中では常に先のことを考えてしまうんです」。初秋、会社が買い付けた大量の新米を目の当たりにするときは、あまりの緊張感に眠れないこともあるという。
 かつて(一部では今も)、日本の酒蔵には「杜氏制度」が存在していた。全国に点在する酒造りのプロである杜氏集団は、毎年秋になると蔵元へやって来ては泊まり込みで酒造りを手がけた。北川本家の前任の杜氏も、福井「越前糠杜氏」の一人だったという。しかし高齢になり体調を崩したため、急きょ白羽の矢が立ったのが社員の田島さんだった。当時は弱冠37歳、大役が務まるか不安も大きかったが、杜氏制度にもはや頼ることができない状況の中で、とにかく熱意と勢いはあった。「自分がやらなくては誰がやる」と、腹をくくったと振り返る。
 現在の田島さんを支えるのは、20〜30代の職人・スタッフ6名と、福井から約50年間通い続けているというベテランの蔵人(★2)2名からなるチーム。その誰もが「田島さんは熱意の人」と口を揃える。「昨年より、昨日よりいいお酒を造りたい」と、杜氏自ら新しい工夫や努力を惜しまず、常にありったけの情熱を注ぐ。日々の仕込みの中から、成功や失敗の要因を探り、新しい挑戦のための糧へと転換する。そんな田島さんが得意とするお酒は、まろやかなできめの細かい伏見の水を生かした、すっきりとした「きれいな」お酒が中心。例えば、綾部の契約農家が栽培した山田錦を使用した「純米吟醸 丹州山田錦」は、米の旨味をしっかり感じさせながらも淡麗な味わい。「大吟醸 吟の司」は、さらりとした口当たりとフルーティーな香りが楽しめる。また、2011年には、ほんのりと甘酸っぱい、食前酒のような新しい純米酒「富翁 プルミエ・アムール」の開発にも成功した。
 また、忙しい酒造りの合間、寝る間を惜しんで、小売や卸先を対象とした試飲会に参加し、直接お酒をついで営業もすれば、得意先の料理屋さんがある東京へも足を運ぶ。それは「自分たちのお酒を知ってほしいという気持ちもあるけれど、それ以上に、日本酒の奥深さ、おいしさをもっと多くの人に知ってほしいから」と田島さん。「造り手が動けば、少しでもお客さんの心を動かせるかもしれない」。
 そんな田島さん率いるチームが造るお酒の味わいに惚れ込むお店も多く、京都「いなせや」「食堂 おがわ」など、今京都で元気がいい料理店とは、店を訪ねたり、蔵を訪ねたりと、顔が見える付き合いを続けている(★3)


基礎の基礎である「道具の洗い方」に特に気を使っているという田島さん。「お酒は生き物。小さなことが命取りになるんです」

チームが支える酒造り

 ところで、日本酒造りにおいて、ワインのような当たり年はあるのだろうか? 素朴な疑問に「当たりもハズレもないのが日本酒の魅力ですよ」と田島さんは言う。もちろん、今年度(平成23酒造年度)のように、全国新酒鑑評会で、見事金賞を受賞する年もある。「でも、それはその年の中での話。冷夏や酷暑による米の出来・不出来に左右されず、毎年『質のよい、うまい酒』を造り続けることこそが杜氏の務め」と言い切る。そのためには、その年の酒米の特性(粒の大小や、硬さ・やわらかさ)を見極め、浸漬や蒸し時間、麹や酵母の量、すべてを細かく調整し、酒米の力を最大に引き出さなくてはならない。実に細かな作業だが、これこそが、米という自然の恵みを大切にし、酒を神に捧げてきた日本人ならではの酒造りともいえるだろう。
 田島さんの背中を見て育ってきた職人たちもまた、頼もしい存在だ。酒母造りの責任者である紅一点の築谷さんは現在26歳。酒造りに憧れて入社した彼女は、小さなフラスコで培養された酵母からアルコールが生まれるダイナミズムに魅せられ、「冬が来るのが待ち遠しくて仕方がない」と笑顔で話す。酒造りの一番の要である「麹造り」を手がける西田さんは、製法によっては、二昼夜の50時間、不眠不休の作業を手がけることも。その際、一番最初の「引き込み」——蒸米を室温30℃前後の製麹室に入れるときに、最も神経を研ぎ澄ますという。「日によって天気も湿度も違うけれど、最高の蒸米を受け取るからには、自分は最高の状態で迎えたいと思う。各自の担当こそ分かれているけれど、僕は常に全体の酒造りとつながっている意識で作業をしているんです。すると、不思議ととてもいいように流れていく」
 御年70歳前後のベテランの蔵人2人は、昔ながらの酒造りの技術や厳しさを若手に伝えてほしいと、田島さんが福井から呼び寄せている人たちだ。若手の職人たちと共に作業をしながら、所々でポイントを伝授する。ただし、理屈は言わない、体と感覚のみ。まるで仙人の修行のようだが、理論武装にならず、お酒をよく観察し、瞬時に対応することの大切さは、少しずつ若手にも浸透しているようだ。しかし、何より大きいのは、百戦錬磨の経験を持つ蔵人が、誰よりも「酒造りのこわさ」を知っていること。少しでも手を抜いたら酒造りは失敗する。今も「仕込みの夜は心配で寝られない」といい、夜中に起きては様子を見に蔵へと足を運ぶ。その真摯な姿もまた、チームにとって大きな刺激となる。

「覚える」よりも「センスを磨く」

 酒造りの世界では、節目節目でささやかな祝いの席が設けられる。その年初めてできたお酒を神に供えて感謝する「初しぼり」に始まり、すべての米を蒸し終え、仕込みを終えたことを祝う「甑(こしき)倒し」、そして、北川本家が3月下旬に行うのが、最後の醪を搾り終え、酒造りを無事終えたことを祝う「皆造(かいぞう)祝い」だ。これを経て蔵人は晴れて里へと帰ることができる。
 そうした祝いの場、お酒の場でも、伸び盛りの若い職人から熱意ゆえに「もっと教えてほしい」と頼まれることがあるという。「でも、手取り足取り教えることはできないんです」と田島さん。経験してきた人にしか分からないが、酒造りは教えられて分かるほど簡単ではない。ちょっとした水加減、火加減、タイミング……、試行錯誤を日々繰り返しながら、自分で体感して「独自のセンス」を磨いていかねばならないのだ。「その代わり、自分の酒造りは何一つ隠しません。むしろとことん見て盗んでほしい」。そして、職人たちには一回の酒造りで必ず一つ新しい課題を課すようにしているという。そうでなければ忙しい1年は飛ぶように過ぎ去ってしまう。でも、常に課題を持っていたら、1年で10も20も学ぶことができる。そして「自分だって同じですよ」と付け加える。仲間と反省会をしながら、腹の中では「次はああしよう、こうしようと画策が始まっている(笑)」。やればやるほど面白さも増す分、難しさも重圧も増していく酒造り。しかし田島さんの体の中には、それすらもひらりと飛び越えるほどの情熱があふれ、そして既に、新しい年の酒造りをピタリと見据えている。

京都拠点、その魅力とは。

「かつて“伏水”とも書かれていたほど、質の高い伏流水が豊富な地・伏見。
約2キロ四方の中に、現在でも20軒以上の酒蔵がひしめく蔵元は、全国でも珍しいと思います。社長同士は分からないけれど(笑)、伏見の杜氏同士は仲がいい。『今年の米はどう?』とか、『今年こんな酒ができた』といってはよく集まって飲んだりもします。それは馴れ合いでは決してなく、杜氏制度もなくなった今、お互い切磋琢磨して伏見全体のレベルを高めていけたら、という想いから。それに、仮に同じ造り方をしたとしても、絶対に同じ酒にならないと知っているし、それこそが日本酒の面白さでもある。それから、腕が確かな京の料理人さんが近くにいることも有難い。彼らにおいしいと言ってもらえることは、大きな励みになりますからね」

酒蔵の敷地内にあるアンテナショップ「おきな屋」。店限定の搾り立ての生酒ほか、厳選した玄米をその場で精米・購入することができる。

★1 日本酒の工程が複雑だと評されるのは、原料である米自体が糖分を含まないため、それ自体では発酵しないことにある。そのため、米のデンプンを麹菌の力で糖に変えた後(糖化)、その糖を酵母によってエチルアルコールと炭酸ガスに分解しなくてはならない(発酵)。また、糖化と発酵に必要な「麹菌」「酒母」を造るために蒸米が使用されるため、原料である酒米は酒造りの中で様々な用途で使用される。

★2 酒蔵で働く人々の総称。かつては秋になると杜氏が同じ地元からたくさんの蔵人を引き連れて、蔵元へ蔵入りをした。

★3 「いなせや」が惚れ込んだ、「富翁純米吟醸無濾過生原酒」はぜひ試していただきたいお酒。筆者もその美味しさに取りつかれ、酩酊したこと数知れず……。

プロフィール:
text:山口紀子(やまぐちのりこ)
フリーライター・編集者。新潟生まれ。
好奇心と向こう見ずな性格が高じ(?)「日本の根っこ」を探るべく東京経由で京都へ。地域に根付く豊かな文化や昔話、手仕事などを発掘していきたいと決意新たにする今日この頃。

photo: 石川奈都子
写真家。元呉服屋の娘で建築科専攻、染色作家のもとに弟子入りした後、展覧会から写真が仕事に。現在は雑誌、書籍、広告等で全国を飛び回る日々。風景、建築、料理、プロダクトまで人の魅力を通して写す。
http://www.ishikawanatsuko.com

PROFILE

田島善史 —Tashima Yoshifumi

北川本家 杜氏
明暦3年(1657)創業、酒銘「富翁」を掲げ、350年以上の歴史を持つ伏見の造り酒屋の現杜氏として、平成11年より酒造りを担当。全国新酒鑑評会では、今年(平成23酒造年度)をはじめ、6度に渡り金賞を受賞。また日本酒ファンは元より、国内の有名料理店から気鋭の若手料理人まで幅広い人々に愛されている。

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