青幻舎マガジン

男衆-高橋英次

京都/拠点 : work & life in Kyoto
vol.11

舞妓とふたりで作り上げる
花街を彩る「美」の装い
男衆-高橋英次

 

 先日、友人の編集者と久しぶりのごはん食べ(※)。彼女のリクエストで上七軒へ向かった。はしご酒をした二軒目のカウンターで、隣に座っていたのが彼――高橋英次だった。
 ふとした会話から彼が男衆であることを知り、もしかして……と思い、こっそり訊ねた。「お師匠さんはどなたですか?」と。「堀切です」という答えに、にやりとする。彼が名を挙げたその人は、私が以前に取材をした男衆さんだったからだ。当時、彼は言っていた。後進を育てるのがこれからの自分の役割でもある、と。あれから4年、彼の心意気が受け継がれていることにうれしくなった。京都が狭い街であることに感謝した夜でもあった。
 その縁をつなぎ、後日、彼の職場に立ち入らせてもらった。

※ごはん食べ=京ことばで、外食に行くこと。

text:山田涼子(椿屋)/photo:松村シナ

文化的で京都らしい仕事を求めて帰京

 京都恋しさゆえ、京都に住まう理由として「京都っぽい仕事を探していたときに、ネットで男衆のことを知った」という高橋さん。舞妓の応募もメールでなされる昨今、芸舞妓に比べて露出が少ない男衆について知るにはインターネットが手っ取り早い。一昔前に比べて、花街はほんの少し開かれたと思わされる。

 「男衆」と書いて、「おとこし」と読む。

 花街で必要とされる男性の職業だ。その仕事内容は、一言で言えば舞妓さんの装いを手伝うこと。舞妓を舞妓らしく、また花街を花街たらんとする、彼女たちのユニフォームを美しく着付けることが、彼らの役目とされる。彼らは女ばかりの世界で唯一、奥深くまで入り込むことを許された男たちでもある。秘められた場所を職場とするがゆえ、成り手が少ないのも頷ける。しかし、舞妓のトレードマークでもある「だらりの帯」(★1)は、平均6m50cm以上の一本帯。両手で持ってもずしりとした重さで、とてもじゃないが一人で結べる代物ではない。正直、女性にはなかなかの重労働だろう。そこで、男衆と呼ばれる着付け師たちの出番となる。

 実は高橋さん、男衆という仕事がどういったものか予備知識なくこの世界に足を踏み入れた。「手先は器用な方なので、傘職人とか気になってたんですよ(笑)」なんて言うくらいだから、「とにかく文化的な仕事で、京都で働ければ何でもよかった」という弁は本音だ。ただし正直なところ、休みはないし、賃金も安い。弟子時代は、月5万円の小遣い制でバイトしながら何とかやっていたという。悲しいかな、伝統芸能や伝統工芸の世界では珍しくない現状だ。彼の師匠でもある堀切氏が「シビアに金銭的な問題や、向き不向きで続かない人もいる」と話してくれたことを思い出す。4年やそこらで、その問題がクリアになるわけはないだろう。それでも続けられるのはなぜか? 「この仕事が好きだから」――彼の答えはシンプルだった。「さすがに、やりがいを感じないと頑張れませんよ。憧れだけでは続けられない。いまはやりたいことがやれている満足感がモチベーションでもあります。あとはこれで給料が上がったら最高ですね(笑)」

男衆-高橋英次

この日撮影にご協力いただいたのは、宮川町(★2)のお茶屋(★3)「利きみ」さん。京都伝統のお座敷で、芸舞妓さんと京料理が味わえる空間。併設するバー「はな」では、気軽にお酒を楽しむことも。 「利きみ」

男衆-高橋英次

夕暮れ時に狭い宮川町を北へ南へ、移動は愛車の自転車で。分刻みでスムースに移動するには最適な手段だ。

彼女たちの「理想像」に近づける作業

 では、男衆としての「やりがい」とは何か。

 それは、彼曰く「芸舞妓の一部になれていること」。

 「この仕事は相手ありき。相手に合わせることが肝心です。ガツガツ押すだけじゃ相手もしんどいし、年頃の女の子たちなのでしゃべりたいこともあるやろうし。男相手やからこそ話せることを聴くのも大切なことですね。個性のある子はこんなふうにしてほしいっていう意思表示をしてきてくれます。それは本当に勉強になります。それぞれに違う好みや体型によって同じ手順でも微調整が必要です。誰もが思い浮かべる『舞妓』は、僕ひとりで作るもんじゃなく、舞妓本人と二人で作り上げるもの。だからこそ、なんということのない日頃の会話が大事なんです」。いつでも対等に、共に花街を彩る「美」を作り上げていく。表舞台に出て行く華やかな存在には、完全裏方に徹する男衆の技術とセンスが欠かせない。

 いまの仕事に誇りを持って向き合っている彼は、認めてもらえなければ仕事を辞める覚悟で独立を願い出た。「最初から3年で独立しようと考えていた」のは、「技術的なことはちゃんと覚えて、後は自分で学んでいくしかない」という想いからだった。それでも、いまだに課題はたくさんあるという。例えば、着付けにかかる時間。「師匠の着付けの技術は本当にすごい」と彼は言う。「自分は手が遅い」とも。彼の師匠は、ひとりの芸舞妓につき10分以内で着付けを終える。夜のお座敷前は、芸舞妓が一斉に仕度をする時間帯。順番を待つ彼女たちのためにも、のんびりしている暇はない。「それに比べて、自分はまだまだです」と反省の色を見せた彼。「己の未熟さで時間がズレていくことがあって……。電話はかかってくるし、それで余計に焦るし、移動も大変やし。そんなときに限ってハプニングがあったりして……」と恥ずかしそうに話してくれる。でも、だからこそ、舞妓との息が合った着付けで双方納得のいく仕上がりを作れたときは、やりがいを感じる。彼が男衆であり続けている最大の理由だ。

 「重要なのは、相手が求めている形を作ってあげること。こう見せたい、こうありたいという“自分の着方”を持っているからこそ、その理想像に副うことが男衆の役割だと思っています」と、力強く語ってくれた。

男衆-高橋英次

鏡越しに表情を確かめながら、手の感覚を頼りに帯を締める。舞妓さんのOKが出るまで微調整を重ね、心地良くお座敷へと送り出すのも男衆の役割。撮影中は、「おなかすいたねぇ」「暑いねぇ」といった他愛のない会話が交わされていた。いつもどんな話を?という質問には、「パソコンが動かへんって相談とか(笑)」と打ち明けてくれた。「初期設定も全部してもろた」から、機械関係は高橋さんの担当なんだとか。

男衆-高橋英次

はい、できあがり。今回モデルとして協力してくださったのは、「利きみ」に在籍する舞妓・君ひろさん。宮川町出身で、幼い頃から舞妓さんに憧れてきた生粋の花街っ子。この日は、写真に写るからと「いつもより綺麗に襟足塗ってきました」と、お茶目な一面も見せてくれた。

花街の男衆としての窓口を目指す日々

 「一見さんお断り」やツケでの支払いといった独自のシステムから、どうしても閉鎖的なイメージがつきまとう花街。ごく一部の限られた殿方だけがその恩恵に与っている印象は否めない。それを踏まえて、これからの花街文化を支えていくひとりである高橋さんは危惧している。「あの形さえあればいいなら、文化は廃れてしまう」と。だからこそ、花街の文化を芸舞妓たちと一緒に支えていきたいという想いを強くする。「師匠の“外へ、外へ”という行動力は自分にはないもの。でも、師匠ほどではなくても、外から見えるように発信していく必要性は感じています。頭の片隅ででも、こういう仕事があるってことを知ってもらえれば……。とはいえ、謎めいたところがあるのがいいんですけど(笑)」。商売道具でもある着物についても、「自分で着ることには興味がなかったんです。着物で仕事に行ったら、着付けが終わる前にこっちがはだけてしまいますし(笑)。でも、この仕事を始めてから、着物関係の人と知り合うことも増えて、だんだん興味が涌いてきました」と、改めて日本文化の良さを感じることもあるという。その良さをひとりでも多くの人に知ってもらうことも、彼に出来ることのひとつかもしれない。

 日々の仕事のクオリティを上げることはもちろんのことながら、今後の目標は?と訊いてみると、「男衆としての窓口になりたいですね」という思いがけない答えが返って来た。いやはや、それはまた壮大な。「具体的には……、先斗町には男衆文化がないので、街をまたいで活躍できる男衆になれたらいいな、と思います」。先斗町には男衆が存在しない。舞妓の着付けは置屋(★4)のおかあはんが行う。だが、先にも言ったように「だらりの帯」を結ぶのはなかなかの力技。だからこそ、男衆の必要性を見直してもらえるのでは、と彼は考えている。そうして地道に、けれど革新的に、道を切り拓いていこうとするのは、師匠から受け継いだ精神でもあり、閉ざされた現場で彼が痛感している壁をなくすためでもある。師とは違ったやり方で、自分らしいスタンスで、花街の未来を担っていくため、今日も彼は宮川町の石畳を愛用の自転車で駆け抜ける。

男衆-高橋英次

日が暮れてからが本領発揮の花街。宮川町内の軒先で灯る提灯に描かれた紋は「三つ輪」で、その由来は芸妓育成機関である女紅場が府立となった際に社寺・町家・花街の三者が合流して学校を設立した記念だといわれている。宮川の「みや」を語呂の合う三つ輪として考案されたとも。毎年4月に行われる「京おどり」期間中には、真っ赤な提灯がかけられる。

京都拠点、その魅力とは。

 「三重で4年間働いて、滋賀に移住しました。その頃からずっと京都に帰りたいと思っていて、京都で暮らすことを念頭に探して、行き着いたのが男衆という仕事です。これこそ京都ならでは、の職場だと思います。コアで特殊な世界というイメージが強いですが、一旦入り込んでしまえばすんなり馴染めました。それも京都らしい懐の深さではないでしょうか。仕事で接する舞妓さんたちも、『ふつうの女の子やな』という感覚です。

 たしかに、京都は面倒くさい街でもあります。基本、足元見られますし(笑)。でも、そればかりじゃないのも日々の暮らしの中で実感しています。また、人も多すぎず少なすぎず、住みやすい場所。この仕事をしていなくても、この先もずっと京都にいたいと思っています。」

男衆-高橋英次

水辺からの風が気持ちいい鴨川べりにて。

 

★1 店出し(=正式な舞妓デビュー)までの期間には短めの「半だらり」という帯を締め、店出しからやっと長い「だらり」の帯を締めてもらえるようになる。お座敷では、芸舞妓がまとう着物や簪についても知識を持ち、さり気なく話題にするのが旦那衆に求められる粋のスキル。

★2 京都には、日本最大の祇園甲部、そこから分かれた祇園東、京都最古の上七軒、観光地としても賑わう先斗町、そして宮川町の五花街がある。宮川町は、出雲・阿国の歌舞伎踊りの小屋や茶屋が発祥とされる花街。最初は、舞妓ではなく若衆歌舞伎の少年が接待をしていたが、現在はその形態を変えて芸舞妓だけの花街に。その数は、祇園甲部に次ぐ規模を誇る。 「宮川町」

★3・4 「お茶屋」とは、「お座敷」と呼ばれる部屋がいくつかあり、客の要望に応じて芸舞妓をはじめ、お酒や料理などを段取りする店のこと。そのほとんどが最高のおもてなしを提供するために「一見さんお断り」スタイルをとっている。これに対して「置屋」といわれるのが、芸舞妓の所属する芸能界でいうプロダクションのような存在。芸舞妓に芸事やしきたりを教え、お茶屋へと送り出すのが仕事。

プロフィール:
text:山田 涼子(やまだ りょうこ)
しがないモノ書き、および高校の先生(国語科)。様々な媒体での執筆はもちろん、テレビ番組のリサーチ、京都特集のコーディネートなども請け負う。慣れ親しんだ京都の魅力を再発見するため、ライター&イラストレーター仲間で「ことり会」を結成。自分たちの好きなものだけ詰め込んだ「ことり会だより」の編集長も務める。今秋から、京都の旅行会社「チェルカトラベル」とコラボレートした京都旅の提案も始めたばかり。
「椿屋」http://tsubakiya.gozaru.jp/
「ことり会」http://kotorikai.com/
「チェルカトラベル」http://cerca-travel.co.jp/

Photo:松村シナ
SOHOでデザインの仕事をしながら、写真展などの創作活動中。2012年11月より「京都写真教室Tract」の講師も務めながら、日々写真の魅力を追求する。
「torico.」http://torico.petit.cc/
「Tract」http://www.tract-kyoto.com/

PROFILE

男衆-高橋英次

高橋英次
Takahashi Eiji

1984年、京都生まれ。2003年から4年間、自衛隊に所属し、三重県でヘリの整備を行っていた経歴を持つ。その後、派遣の仕事を経て、2008年2月に師匠となる堀切修嗣氏の門戸を叩く。決意と熱意を認められて翌月から弟子入りし現場で修業を積み、2012年3月に独立したばかり。駆け出しの男衆として日々邁進中。
堀切修嗣氏

RECOMEND

BACKNUMBER

CONTENTS

↑TOPへ戻る