青幻舎マガジン

絞り職人 たばた絞り 田端和樹

京都/拠点 : work & life in Kyoto
vol.17

京の伝統×技法若い職人の感覚=ポップ&カワイイ「絞り」。
絞り職人 たばた絞り 田端和樹

 

 友人から薦められた1冊の本、「伝統の続きをデザインする SOU・SOUの仕事」。斬新なテキスタイルや地下足袋で知られる「SOU・SOU」(★1)のプロデューサー・若林剛之氏の著書だ。いくつかの革新がちりばめられている中、何より魅かれたのは、取引工房である「たばた絞り」についてのコラムだった。そこで紹介されている田端和樹さんは京鹿の子絞り業界における最年少の職人で、彼に「たばた絞り」という名を提案したのが若林氏だという。自社販売を可能にするためWEBサイトを贈った若林氏に応えるため、律儀かつ実直にブログを活用しているという田端さんに会ってみたくなった。から、さっそく会いに行ってみた。

text:山田涼子(椿屋)/photo:松村シナ

「一生に一度なら、やってみてもいいのかも」

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定規とアイロンを使って、真っ白な反物をひたすら三角に畳み続ける作業。「雪花絞りは根気が勝負」という田端さんの言葉は、大袈裟でもなんでもない。取材に訪れたときは、1週間で30反という作業量を地道にこなしている最中であった。三角に折った布は同じ三角形の板で挟み、染料に浸けて柄を出す。

 近年、「日本の絞りは中国が守る」とまで言われていることをご存じだろうか。多くの日本企業が中国やベトナムなどに工場を移転して久しいが、自動車や玩具に留まらず、日本が世界に誇るべき伝統工芸も同様で、昔ながらの丁稚奉公で手に職をつけるシステムは廃れつつある。今回、取材した「絞り」の世界も例外ではない。

 ところで、今回紹介する「京鹿の子絞」(★2)は経済産業大臣指定伝統的工芸品のひとつ。万葉集に絞り染めの衣装について詠んだ歌があるほど、長い歴史を持つ技法として知られる。ただ、現在「京鹿の子絞」と名乗ってもいいのは絹に限られ、同じ技法を用いても綿や麻では「京鹿の子絞」とは言えない。材質が変われば、染料も変わる。もちろん、風合いも変わる。けれど、技術は変わらない。ならば、呼び名にこだわる必要はないのではないか。そんな思いを胸に、若林さんからの助言を受けて生まれたのが、「たばた絞り」だ。

 多聞に漏れず、絞りの現場でも年々仕事量は減少している。そもそも呉服業界の斜陽化が危惧されて長い中、高級品でもある絞りの需要が少なくなるのは避け難い。伝統工芸士である父親の仕事を間近で見てきたからこそ将来性に期待が持てず、田端さんが家業とは別の仕事に就いたのも仕方のないことだったろう。音響・照明の専門学校を卒業後、イベントやコンサートなどの現場で働き始める。コンピューターや機器相手に仕事をして帰ってくると、父親が変わらず黙々と手作業だけで他人にはできないものを作り出している。その姿を見ているうちに、着物の衰退とともに絞りの技法が受け継がれなくなるのはもったいないと考えるようになる。またその頃、同業者だった伯父夫婦が廃業したこともあり、転職への意識は強くなっていった。「それでも、1年間悩みましたね」と、田端さんは当時を振り返る。結局、悩みぬいた結果「このままだと後悔するかも……」という思いに背中を押され、5年間勤めた会社を退職した。25歳のときだった。

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大工さんに特注したという作業代には、絞りの過程に必要な道具が据えられている。写り込んでいる太い針金はバーナーで炙って成形した自作品。身体全体を使って絞るとき、この作業台からグッグといった軋んだ音が出れば、きちんと締まっている証拠なのだとか。「初めはなかなかこの音が出せないんです」とのこと。

 「この世界に飛び込んで、まず最初に驚いたのが仕事の少なさでした」。それを受けて、「厳しい厳しいとは聞いてたけど、本当に厳しくてびっくりしました」と教えてくれた妻である幸恵さんの言葉が、その度合いを如実に物語っている。「生活ができないと仕事として成り立たないですよね。うちは親子なので、今月はちょっと厳しいからなんとか……みたいな話もできますが、いまの状態で人を雇うのは正直難しい。実際、僕もしばらくは修行の後に夜中までアルバイトをしていました。若者の意識や姿勢の問題だけでなく、安定した給料を支払うのが困難なことも後継者不足につながっていると思います。10年、20年先を見据えながら、このままやっていけるのか?という不安や心配は常にありますね」。それでも、田端さんのような若者が業界の未来を背負って立つのでは?との問いかけに、思わぬ答えが返ってきた。「うちの父親は64歳ですが、それでも僕を除けば一番若いんです。そんな中、右も左も分からないのに若いってだけで注目される存在は目障りだと感じる人も少なくありません。ライバルが一人増えるわけですから。絞りの未来を考えれば技法を受け継いでいくのは必要不可欠ですが、いまいる職人さんたちは少ない仕事をそれぞれで分け合っている。試しにやらせてみようか、という依頼主の好意も、別の職人さんにとっては迷惑な話。教えを乞うて嫌がられることも珍しくありませんでした」。後継者の誕生を手放しで喜べない現状が、そこにはある。「染屋さんでうちの商品と分かった上でいたずらされたり、染料を分けてほしいとお願いしに行けば、ちょっとそこで待っといてと言われて1時間以上放置されたり、足元見られて倍の値段を提示されたり、懇意にしている呉服屋さんにうちの仕事は請けるなって言われたからと断られたり……」。枚挙に暇のない陰湿な嫌がらせを受けてきたという。業界に入ったばかりのときも、「あちこちで1、2年続かんやろうって言われました。だからこそ、見とけよ、やったるで! という奮い立ったところもあります」と、話してくれる田端さんの強い眼差しと穏やかな笑顔が、とても印象的だった。それでも――と、田端さんは続ける。「10年弱やってきて、現代を見据えつつも伝統を守りたいという思いは年々強くなっています。少しずつ職人さんたちと話すようになって、仕事が少ないからいろいろ問題はあるけど、想いは同じところにあることを実感できようになりました。伝えていくのが務めだという気持ちを、みんながそれぞれに持っているんです。確かに陰険なやり方かもしれませんが、それもすべて自分たちの生活を守るためのことなんだと、いまなら飲み込むことができます」。誰もが高い志を抱いてはいても、実現のために動くには、やはり自らの生活基盤ありき。厳しい現状に身を置くからこそ、そういった切羽詰まった気持ちも理解できるということだろう。しかし、だからといって手をこまねいているわけにはいかない。仕事がないなら取ってくるしかない。新しく仕事を作る手段を考える中、「SOU・SOU」との出会いがどのような化学反応を引き起こしたのかを追ってみたい。

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ヘラ代わりになる爪も大事な商売道具。「僕の仕事を知らない人に見られるのは恥ずかしいですけど」と笑うが、職人然とした手は雄弁だ。開けば手の平にはタコも。このタコが出来るまでは何度も血を滲ませてきたという。ググッ、ギュッ、シュッ……、田端さんとお父様のリズミカルな作業音が心地良い。

「現代を見据えつつ、伝統も守っていきたい」

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京都造形大学で年に2回行われる染織の授業を担当。職人は命綱でもある己の技法をなかなか外に出したがらないものだが、田端さんは惜しげもなく知識や技術を伝授する。そこには、「自分はそれ(教えた相手の技術)を上回ればいいし、絞りが広まったら単純にうれしいんです」という絞りへの真摯な想いがある。

 仕事の減少を実感する暮らしの中、田端さんが魅かれたのが「SOU・SOU」という京都ブランドの躍進だった。日本産の手仕事や伝統にこだわる同社のモノづくりを見ながら、「仕事としてできたらいいなぁ」と思うようになった頃、思い切って店舗を訪ねたという。残念ながらその日、若林氏は不在。スタッフと会話を交わし連絡先を伝えて、足袋下を買い求めて帰宅する。その2日後、本人から電話があった。「よかったら一緒にやって行きませんか」、思いがけない誘いだった。同ブランドの商品は綿麻が主流。絹に限る「京鹿の子絞」の名前は使えないことに悩んでいたとき、若林氏から「たばた絞りと名乗っては?」との提案があった。なるほど。それは面白い。田端さんは、その思いつきをすんなりと受け入れた。

 そもそも、絞りの技法は100種類にも上る。もちろん、中には後継者不足や需要減少のため途絶えたものも少なくない。その中でも、適性や作業時間、コストなどを考慮して田端さん一家が手掛けているのは2~3種類。たとえば、傘絞り。有松絞りに多く用いられる手法で、模様の輪郭をぐし縫いして糸を引き締め、内側の部分を巻き上げることで蛇の目傘のような柄を作り出す。これは数年前、金麦のCMで女優・壇れいが着用したことで一躍注目を浴びた。また、模様とする部分に染色液が染み込まないように芯を入れてからビニール等で覆って糸を巻きつける帽子絞り。言わずもがな、その見た目から名づけられた手法であり、染めを「防止」するという意味合いもある。そして、現在「たばた絞り」の代表格ともいえる……雪花絞りだ。

 「雪花絞りをできないか」と、若林さんから持ちかけられたとき、田端さんは雪花絞りのノウハウを何も知らなかった。なぜならこの手法、名古屋にある有松絞りの工房にしか伝わっていないもの。その昔、雪花絞りは赤ちゃんのおしめに使われていたことから、おしめ柄として安く見られていたのだという。そのため、幸か不幸か、中国にもその工程が流出しなかった。テレビで見ただけの柄を再現する試行錯誤が始まった。多くの人に「真似するもんちゃうわ」と呆れられ、いろんな人が試してみたが失敗ばかりだと聞かされる。いまだから言えるが、「できますよ」と答えたものの、本当にできると思っていたわけではない。ただ、現状を打破するためにはチャレンジするしかない。その一念から、田端さんは手探りで「雪花絞り」に取り組むことになった。

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かわいい!という動機から受講生は女性が大半。「難しく考えず、入口は何でもいい」と、田端さんの懐は深い。まずはやってみる。それが楽しかったらいい。そんなシンプルな感動から、将来、絞りの道に進む生徒が現われるかもしれない。見学者も大歓迎!ということで、写真家の同行も快諾いただいた。

 染めては失敗すること1000枚。「一銭にもならないものを作り続けて、止めるに止められず」という言葉に、当時の苦労が垣間見える。途中、何度も挫折しそうになる。それでも、意地だけで進むしかなかった。「教えてもらったらどうか」という周囲の言葉にも耳を貸さず、ひたすらに染め続ける。行けばヒントが見つかるかもしれないが、それは「頭のいい人のテストをカンニングするようなもの」だと思っていたからだ。教えを乞うて出来上がったものは、「僕の雪花絞りではない」というプライドもあったという。なんとなくカタチになるまで約2年。改良を重ねていくうち、何かを掴んだような気がした。勇んで真っ先に報告した相手は、もちろん若林氏だ。なのに、返ってきたのは「ああ、出来ましたか」という、いともあっさりした一言。もう少し興奮してくれても……と、正直拍子抜けしたと言うが、その反応は若林氏の田端さんへの信頼の証だったのではないか、と思えてならない。きっと彼ならやってくれる、という期待ゆえの言葉だったに違いない。

 詳しい作業内容については企業秘密だが、雪花絞りにたどり着いたのは「固定観念のなさ」だったと田端さんは言う。「こうじゃないといけないという考えがあると見つけられない方法だったんです。こういう手順でないと染まらないと、絞りに携わる人間なら誰でも当然知っていることを知らずに来たことで、行き着くことができたんだと思います。思い込みを崩さないと出来ない手法でした」。念願の目標に達し、喜びを噛み締めているかと思いきや、「唯一、技法を守ってきたものを広めてしまったという罪悪感もあるし……」と、田端さん。そこには複雑な思いがあるという。呉服と違うアパレルの目まぐるしい短スパンに慣れるまでも大変で、プリント感覚で見られることへの抵抗感も抱えながら、それでも安価であればそれだけ手に取りやすいことも承知した上で、相当の価値を生み出したいと願う。

 「値段だけじゃなく、これまでやって来た歴史や、職人さんたちの想いをなくしてしまわないように」、偏らない絞りを目指す。そして父親の仕事を見て感じた衝撃を胸に、ゆくゆくは誰にも出来ない大きな作品を作りたいと思っている。でもそれは、まだまだ先の話。まずはいま、一つひとつの染めに真摯に向き合うこと。どこまでやれるか、一歩ずつ進んでいくこと。彼は、その歩みの行く先を見守っていたいと思わせる有望な職人のひとりなのだ。

絞り職人 たばた絞り 田端和樹 絞り職人 たばた絞り 田端和樹

色の組み合わせも柄の出方も、人それぞれ。なんとなく想像して浸けてはみても、広げてみないと分からないのが染めの面白いところでもある。乾しながら、生徒たちの作品に見入る田端さん。その肩には一眼デジカメが。授業風景を撮ってブログやFacebookに公開するのも、絞りを「伝える」活動のひとつ。

京都拠点、その魅力とは。

 「大阪で勤めていたときも実家から通っていたので、実は京都から出たことがありません。二条城に入ったこともありませんし、清水寺に行ったのは二十歳になってからです(笑)。ただ、僕の仕事は京都であることに意味がありますよね。染めは水がとても大切で、地下に水がめを持つ京都は最適の土地。水が豊富な場所だからこそ、ここまで高度な技術が発達したと言ってもいいと思います。高度な技術を誇る京都で、絞りの伝統や技法を受け継ぎ、魅力を伝えていきたいですね。僕は幼い頃から父の職場について行って職人さんたちと触れ合い、(彼らが)絞りを本当に大事にしているんだなぁと肌で感じてきました。職人=無口で無骨なイメージが根強いですが、実際は気さくで大らか。丁寧な仕事ぶりはいつでも勉強になります」

絞り職人 たばた絞り 田端和樹

一枚は欲しい、憧れの浴衣。古典的な柄だけではなく、ポップな色柄でもオーダー可能なのがうれしい。浴衣以外にも、風呂敷や手ぬぐい、くびまきなどもネットショップで販売中。 「京・雪花絞り」28,000円~

 

★1 2002年、プロデューサーである若林剛之氏、テキスタイルデザイナー・脇阪克二氏、建築家の辻村久信氏らによって設立。「新しい日本文化の創造」をコンセプトに掲げ、地下足袋をはじめ、和服や小物や家具などをオリジナルのテキスタイルを用いて製作・販売する京都のブランド。ワコールや亀屋良長などとコラボレーションする他、「JAPAN BRAND PROJECT」と銘打って古くから息づく日本の技術にこだわるモノづくりで、日常使いできる独自の商品を提案する。
http://www.sousou.co.jp/

★2 世界各地でみられる絞り染めの技術。その発祥はインドといわれ、日本書紀への記載から7世紀頃に日本に伝わったとされている。代表的なものは、室町・桃山~江戸前期に一世を風靡した「辻が花染」。その後、「かのこ」「鹿の子絞」「京鹿の子」として広がり、絞友禅などが生まれる。鹿の子といわれる「疋田(ひった)絞り」や「一目絞り」といった括り粒の精緻さ、鮮やかな色彩を出すための染め分け技法、それぞれの括り技法の組み合わせによって、立体感のある美しさが表現され、手仕事ならではの味わいを特徴とする。糸を使って布地を強く括ることで、染色されない部分を作り出すだけでなく、独特の「粒」や「しわ」をデザインすることが可能。

プロフィール:
text:山田 涼子(やまだ りょうこ)
しがないモノ書きと二足の草鞋で、高校・専門学校の先生(国語科)も。様々な媒体での執筆はもちろん、テレビ番組のリサーチ、京都特集のコーディネートなども請け負う。慣れ親しんだ京都の魅力を再発見するため、ライター&イラストレーター仲間で「ことり会」を結成。自分たちの好きなものだけ詰め込んだ「ことり会だより」の編集長も務める。
「椿屋」http://tsubakiya.gozaru.jp/
「ことり会」http://kotorikai.com/

Photo:松村シナ
SOHOでデザインの仕事をしながら、写真展などの創作活動中。2012年11月より「京都写真教室Tract」の講師も務めながら、日々写真の魅力を追求する。
「torico.」http://torico.petit.cc/
「Tract」http://www.tract-kyoto.com/

PROFILE

絞り職人 たばた絞り 田端和樹

絞り職人 たばた絞り 田端和樹
―Tabata Kazuki

1980年京都生まれ。伝統工芸士である父親の背中を見ながら育ち、幼い頃から京鹿の子絞りに馴染みが深かったものの、中学に入ると家業に背を向け、高校時代はバンド活動に明け暮れる。音響・照明の専門学校へ進学し、卒業後は音響関係の会社に就職。あるとき、手作業だけで他人にはできないものを作り出す父親の姿に改めて感じ入り、熟考の末25歳のときに職人を目指す。現在、自宅でもある工房「たばた絞り」で、両親とともに多くの商品を手掛ける毎日。

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