青幻舎マガジン

和泉屋旅館若旦那 木村英一

京都/拠点 : work & life in Kyoto
vol.20

ここに生まれ育ったからには
僕にもやらないといけないことがある。
和泉屋旅館若旦那 木村英一

 

 木村さんと初めて会ったとき、彼はとてもかわいい(派手な)スニーカーを履いていた。そして、とても饒舌だった。そのイメージが強烈すぎて、彼が何をしている人なのかという話をした覚えがほとんどない。それから幾度か顔を合わせる機会があり、「和泉屋旅館」HPのリニューアルにも関わる中で、若旦那とダンサーという二足の草鞋的ライフスタイルを維持する体力と精神力に感心しきり。気づけば、彼には門前町を活性化させるチームメンバーという顔が増えていた。イベントを企画・運営し、ゆるキャラ「おりんちゃん」の中にも入る。2015年の正月に向けて7年がかりで和菓子のおせち(★2)を実現させるなど、走り続ける勢いは留まるところを知らない。

text:山田涼子(椿屋)/photo:松村シナ

おおむね若旦那、ときどきダンサー。

和泉屋旅館若旦那 木村英一

 旅館の朝は早く、夜は遅い。木村さんにとって、日常生活と会社はイコールだ。物心ついたときから、社員やアルバイトと一緒にご飯を食べる暮らしが当たり前。そこは切っても切り離せない。
 4代目である母親の姿を見ながら育ち、大学でコンテンポラリーダンスに傾倒しつつも、卒業後は実家である「和泉屋旅館」に就職する。昼休憩中にリハーサルをするなど限られた時間の中でも踊り続け、年間何本かのステージを踏む生活を送っていた。家出をしたのが、28歳のとき。「フランスに留学したい」と嘘をつき、「モノクロームサーカス」の海外ツアーに参加したのだ。
 木村さんがダンスを始めたのは高校一年生。それまで9年間続けていた競泳で患った腰痛の治療のために訪れたストレッチ教室でダンススタジオを紹介されたのがきっかけだった。そのスタジオで、 講師をしていた、後に「モノクロームサーカス」メインダンサーとなる森裕子さんと出会う。その後、東京で行われたワークショップで彼女と再会。フランス・コンテンポラリー(当初はヌーヴェル・ダンスと呼ばれた)の情報に触れ、そのエスプリに惹かれていく。90年代前半に日本で流行したコンテンポラリー・ダンスは、一時期メディアでも頻繁に取り上げられ、目新しさがスタンダードになって定着した。
 あるとき、日仏のオーガナイズを務めていた「モノクロームサーカス」が「リヨン・ビエンナーレ」に出演することになり、木村さんもそのメンバーとしてツアーに参加することに。3~4か月も海外へダンスのために行くなど、許されるはずもない。どうにか思いついた言い訳が、フランスへの留学だった。海外だけでなく、引き続き日本国内のツアーにも参加していたが、もちろん帰国したことは黙っていた。30歳のとき、NHKのドキュメント番組に映っていたのを「親の知人が見ていてバレたんですよ(笑)」。「もう逃げられへん」と観念し、31歳で旅館に戻った。そこできっぱり、ダンスは辞めるつもりだったという。

和泉屋旅館若旦那 木村英一

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  ところが、働き出して2日目でぎっくり腰になってしまう。いままでハードな運動をしている人間が急にトレーニングを辞めると往々にしてそういう障害が生じるという。鍼灸師と整体師に、「治療の一環として、ダンスは続けなさい」と助言され、きっぱりと辞めるつもりが、働くためにも踊り続けることになった。
 木村さんにとって、「仕事は義務。でも、踊ることは人生」だという。それは「自己表現としての手段ではなく、ダンスをしていたからこその出会いでいまがある」から。彼にとって踊ることは、「生きていくために」に不可欠なことなのだ。

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本連載vol.15で紹介した花結い師TAKAYAさんのパフォーマンス・個展イベント「MEN」(2014年9月7日に京都文化博物館別館にて開催)にも出演。息遣いが響く静かな空間で、しなやかな肉体美と凛とした佇まいが観る者を魅了する。

そして、近頃は町の活性化メンバー。

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 「京都・花灯路」の効果で活気あふれる東山エリアを見て、「なんでうちの周りはこんなに人が少ないのか」と憂いていた木村さん。折に触れ歯がゆい想いを話す中で、女将から「植柳まちづくりプロジェクトチーム」について知らされる。その頃には、ダンサーとの掛け持ちも許容されていて、旅館での立場も少しずつ確立されてきていた。(ちなみに、女将に認められたのは「愛・地球博」に出演したことがきかっけだったとか。これも、東京で参加した即興イベントで知り合った人からの声掛け。「ご縁だけで続けてこれてます」と、木村さんはインタビュー中何度も繰り返した。)
 2009年3月から清掃活動に参加。2011年4月~2012年1月まで西本願寺で開かれた「親鸞聖人750回大遠忌」にまつわるプロジェクトから依頼があり、前年の2010年にはゆるキャラを公募し、なんとか4月9日の法要初日にデビューを飾る。仏具のおりんをモチーフに、名前を呼ばれると「チーン」と返事をするおりんちゃん。最初は多くの人に取り囲まれる状況に「芸能人ってこんな感じか~って思ってました(笑)。いまはすっかり慣れましたけど」と木村さん。おりんちゃんでいるときは、「脚が短いのでできるだけちょこちょこ歩くようにしています。バルーンが揺れるのがコケティッシュだと思うから、振り返りも機敏に。周りに人がいるときは大きな動きはしません。車に乗ってる感覚が近いかな?」。門前町では人気者のおりんちゃん。それでも、まだまだ全国的に見れば知名度は決して高くない。「広報がちゃんとできてないこともあって、露出が少ない」ことが目下の課題だ。

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おりんちゃんに入るメンバーは、門前町の若衆たち。取材やテレビ出演も持ち回り。

 「門前町を元気にしたい!」というおりんちゃんとしての気持ちは、自然と木村さんの想いともリンクするようになる。そんなとき、友人のパフォーマーが大道芸フェスティバルに出た話を耳にした。「芸が好きなファンや芸人のサポーターたちが押し寄せて、出演者の滞在期間中は宿泊施設が潤うんですよね。でも、さすがに門前町で大道芸はないなぁ、と。根拠がないでしょ」。そこで考え付いたのが、「まちかどコンサート」だった。門前町の店先や店舗を会場に、アコースティックな音色にこだわったライブを開く。アーティストのリサーチからスケジュールのブッキング、会場交渉、チラシ作成・配布に至るまで、すべて木村さんがひとりで行う小規模なイベントだが、今年で4回目を迎えた。当日スタッフはやっと10人ほど確保できるようになり、目標も明確になってきたという。「いまは結果を出せてない。ただコンサートをやってるだけというのが実情です。期間中、コンサートからコンサートまでの時間に町をぶらぶらしてもらいたい。だからこそ、5年前からいろいろ模索していく必要があると感じています。飲食も絡めるべきだろうか、とか。派生的イベントは託せる相手を見つけて拡げていきたいけど、まだまだコネクション不足。こちらが時間を費やしてこその集客だと思ってはいても、それがいまいちできてない。やっぱりひとりでは物理的に時間が足りないのも事実ですが、まちかどコンサートを主役にするのではなく、それも含めた大きな動きを生み出して行かないと。そういう意味も含めて、そろそろ転換期だと考えてます」と、木村さんの野望は尽きない。

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アーティストが到着するまでに会場設営、スタッフへの指示、さらにはご近所への挨拶廻りまで、とコンサート当日は朝から大忙し。

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コンサート直前の挨拶はもちろん、記録係も木村さんの仕事。終演後、椅子や看板を片付けるのも、もちろん木村さんがやる。

 「地域活性の仕事に携わるまでは、どちらかといえば生まれ育ったこの場所が嫌いで。根を下ろしたくないと思っていたし、そこに住む人たちの気質も好ましくないと感じていました。だけど、ガラス越しに見ていた風景が、気づけばガラスが取り除かれてリアリティのある町になった」。いま改めて、彼は町の魅力を肌で感じるようになっている。「『意味があって、僕がここにいてる』というスタンスの確立ができた。町だけでなく、それは旅館についても言えること。コミュニティスペースとしての旅館の在り方を考えるうちに、『フード・イン・レジデンス』という試みを思いついたり。空気感というかスピリッツのある空間で日本の良さをアピールするため、和食のレクチャーを受けられる宿泊施設はどうだろうかって」。なんでも、近所の宿が立て続けに2軒、廃業を決めたらしい。昨今、同業者の廃業話は珍しいことではなくなった。そういった建物をワークショップスペースや新たな宿泊スペースとして生まれ変わらせることができないか。木村さんは考えている。「廃業店舗を買い取って2号店にしたり、景観に副うような町家に改装したり。周りで活動している人がいるんです。だからこそ、僕もやらないといけないと思っています。門前町のサグラダファミリア計画と、僕は勝手に名付けてるんですが(笑)」。

京都拠点、その魅力とは。

 「なんで京都なのかと聞かれたら、他の土地で暮らす必要性がなかったからでしょうか。それよりも住むンやったら新たな出発が出来きて繋がりのある日本人の少ない海外がええと思ってました。でも、まぁそんな理由で海外に飛び出すわけもなく、むしろダンスのおかげで海外にもたくさんの縁が生まれて、(幸か不幸か・笑)家業のおかげで拠点を京都以外の土地に移すこともなく、気が付けば自分の生活圏を拠点にありとあらゆる方面にご縁が広がってました。京都は上質な社会からアングラな世界まで程々の距離感で揃う街やと思います。情報過多で溺れンと自分で取捨選択が出来る。ちゃんと足元見ながら前に進める「余白」が存在してる街やからこそ、繋がる縁が国内はもとより海外にまで及びます。京都を拠点にしたんではなく、この街が僕みたいな支離滅裂で掴み処のない生き方してる人間を育てたんかもしれませんね」

和泉屋旅館若旦那 木村英一

 

 

★1 西本願寺門前町の歴史と伝統を現代に伝えるため、町衆が集まって立ち上げたプロジェクトチーム。「門前町の魅力を知ってほしい」「明るく楽しい町づくり」をモットーに町の活性化を目指している。毎月16日には、西本願寺周辺の清掃活動を行い、8月には夏季限定門前町活性化イベント「おりんde風鈴」を実施。地元のマップやカレンダー制作にも取り組む。

★2 京都を中心に活動する和菓子の工房ユニット「日菓(にっか)」(http://www.nikkakyoto.com/)とのコラボ企画。初回は限定15食のみの販売を予定している。

プロフィール:
text:山田 涼子(やまだ りょうこ)
しがないモノ書きと二足の草鞋で、高校・専門学校の先生(国語科)も。様々な媒体での執筆はもちろん、テレビ番組のリサーチ、京都特集のコーディネートなども請け負う。慣れ親しんだ京都の魅力を再発見するため、ライター&イラストレーター仲間で「ことり会」を結成。自分たちの好きなものだけ詰め込んだ「ことり会だより」の編集長も務める。
「椿屋」http://tsubakiya.gozaru.jp/
「ことり会」http://kotorikai.com/

Photo:松村シナ
SOHOでデザインの仕事をしながら、写真展などの創作活動中。2012年11月より「京都写真教室Tract」の講師も務めながら、日々写真の魅力を追求する。
「torico.」http://torico.petit.cc/
「Tract」http://www.tract-kyoto.com/

PROFILE

和泉屋旅館若旦那 木村英一

和泉屋旅館若旦那
木村英一
―Kimura Eiichi

1972年、明治22年創業の「和泉屋旅館」の5代目として生まれる。高校一年でダンスに出会い、京都造形大学芸術学部芸術学科で身体論を学ぶ。大学卒業後、旅館に就職。京都を拠点に活躍するコンテンポラリーダンス・カンパニー「モノクロームサーカス」(http://www.monochromecircus.com/)の一員として海外公演に出演したり、「愛・地球博」ではトヨタのロボットとのパフォーマンスを担当したりと、ダンサーとしての活動も続けながら、2009年には門前町の活性化に興味を持ち「植柳まちづくりプロジェクトチーム(★1)」に参加。2011年からは「まちかどコンサート」を主宰している。

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