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写真

Aura 鯉江真紀子写真集 サイン本

群集より放射される、微熱を帯びたアウラの響き。

レースの勝敗に沸き返る競馬場の熱狂と歓声。
瞬間に訪れる静寂、歓喜や落胆の言葉にならない声。
共鳴の瞬間、あらゆる音声が無音化される。
個々の存在を離れた群集より放射される、微熱を帯びたアウラが響く。

精密に計算された画面は光に満ち、
幽かなざわめき、生命の息づかいを可視化するという、
視覚世界の存在そのものを根底から揺さぶろうとする革新的な試み。

私が鯉江真紀子の作品にはじめて接したのは、2001年のVOCA展審査会場においてであった。その時受けた強烈な印象は、今でも忘れない。画面いっぱいに、文字通り立錐の余地もないほど埋め盡くす人々の群、いつ、どこで、何のために集っているのか何もわからないが、大勢の群集の発する眼に見えぬ熱気、異様なエネルギー、音のないどよめきのようなものが、強く私を捉えたのである。

ー それは、対象に付随するものではなく、個々の対象を包み込んでしまうような何か、単なる感覚の世界を越えて、深く魂に訴えかけて来るような力である。
ー 高階秀爾「鯉江真紀子の光の世界」本文より抜粋

アートディレクション:中島英樹
序文:高階秀爾(美術評論家、大原美術館館長)

Aura 鯉江真紀子写真集 サイン本

□ 判型:A4判変形
□ 総頁:112頁
□ ISBN 978-4-86152-278-9 C0072

定価:5,000円+消費税

書 評

朝日新聞「視線」 ―2011/4/10 掲載

暴走の群れなのか、聖なる巡礼の民なのか。(中略)/p>

エリアス・カネッティ『群衆と権力』によれば、 人間は見知らぬものとの肉体的な接触を恐れるが、 肉体と肉体が押し合うほど緊密な「群衆」になったとき、恐怖から自由になる。鯉江が描き出す群衆は密集して見えるが、実際には肉体の接触はあまりないのだろう。いや、そもそも日本人にもこの説が当てはまるのかどうか。ほどほどの混み具合の電車の中でも、すし詰めのラッシュ時でも、 暴徒と化すことなく沈黙を貫く。この静けさは、まだまだ続く物不足や放射能汚染の恐怖が広がるなかでも、 表向きは変わらない。一方で彼らが放つ、白い光としてのアウラ(霊気)が、 ふと静かなる興奮や怒りにも見えてくる。

ただならぬ気配と、穏やかさ。万華鏡のような幻惑に満ちた鯉江の表現は、 日本の群衆のありようを暗示しているようにも思える。

(大西若人氏 掲載記事より抜粋) 

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