自分の性癖と
母の死と
昆虫たちが
命の記憶へと
向かっていく
自分の性癖と
母の死と
昆虫たちが
命の記憶へと
向かっていく
大橋にとって写真を撮ることとはそうせざるを得ない行為であり、自分の命が反応してしまったものを、命が命じるままに記録したものが写真であるという。
脳細胞を直接刺激する何かへの反応。
射精のようでただ気持ちがよいわけではない、排泄のようでそれほど簡単ではない、やらざるを得ない、出さざるを得ない、人間の本能や命の深いところと関わっている、生きることの副産物として生まれるもの。
人ははじめての人生を生きている。
そして、人生とは「はじめて」との出会いを繰り返している行為ともいえる。
母の死
昆虫の視線でパンティを透かして見た
生命の旋律
肉として生きるとは、人とは。
本書は大橋にとっての自分の中の「はじめて」との出会いの記録である。
目の前に「はじめて」「あった」ものが写真になる。
それは処女作「目のまえのつづき」から変わらないスタンスといえるだろう。
本書に収められた写真をどう捉えるか、それは見る者に委ねられている。
先入観を捨てて、大橋の命ともいうべき写真群を眺める時、そこには見る者にとっての「はじめて」が「ある」
大橋さんの変わらない中身を感じることができる最高の写真集でし
大橋仁「はじめて あった」に寄せて
大橋仁の写真の中に閉じ込められた生と死を前に、
彼と、はじめて あった、のはいつのことだろうかと考えた。
そんな昔のこと、覚えているはずもなく、
それでまた、彼が人間の鎖のように撮った写真を見つめた。
食卓を前にした父と母の笑顔、この時間、たった一枚でいい。
2023年3月31日、大橋仁50歳の春を祝う
大橋仁の青の時代。
悠々と生きて、おめでとう、そしてその変わらなさに、
写真は進歩も発展もないな。
大橋 仁さんへ
私が大橋さんと出会ったのは
私が身体も心もとても弱っていた時でした。
あの時、タクシーの中で
少年のようにカメラを持って
冒険しようぜって顔をしていて、
わたしはそれに追いつけず
もじもじしていたと思います。
もし、もっと近くに大橋さんがいたら、
はずかしがらずに、
日々のいろんなことができたのかもと思います。
でも、そんなことは恋人にでもならないと
できないかもです。
なので、今作は大橋さんがどんな人であるか
わかる重要なもので、
みなさんにとってもそうなのではないかと
思います。
ご無沙汰です。
はじめてあった
ありがとう。
心を正座して見ました。
ページをめくるたび、楽しみにしていた、
ずっと待っていた映画を見てるようでした。
見終わったら、心が真っ白になりました。
また、生きて行けると思えました。
ありがとうございました。
人が生きて、去っていくっていう、普遍的な営みが胸に迫った。
個人の心の内は見えないんだけど、
一瞬の煌めきのようなつながりもあれば、
大橋仁の写真集の中でも、特に、切実で優しかった。
「はじめてあった」
つい何度も見てしまい、考えさせられました。
この余韻はなんだろう・・・
写真集というよりも本。
せつなく、やさしい。
仁さんは知っていたはずの日常の中に「はじめてあった」
これがあるから、仁さんなんだと・・・
「相変わらずハードコア
でも映画観てるみたいだった。
大橋仁の写真は断崖である。向こうがない。手前もない。
目の前の続きの続きって感じがして、
日常とエロと死。
グッときたよー!
素晴らしい!
大橋仁の「はじめて」につきあわされた。
余白が記述を迫ってくる。物語のことばが湧いてくる。
でもその余白は白いままでなければならない。
白は呼吸している。
大橋仁はほんとうに果てしないバカだなあ、と思う。
こちらの心を締め付けるほどの美しいバカにはそうそう出会うことはない。
生きて死ぬことがこんなにつまった一冊の本をわたしは知らない。
放り投げられたように生がある。我思うゆえに我ありなんて、
写真集 はじめて あった / 大橋仁
写真集をみながら、息をするのを忘れていた。
最初から最後まで同じスピードでページをめくっていた。
そうしないといけない気がした。
時間はそうやって誰のうえにも同じように流れていくから。
写真がとらえているものと、
並んだ写真がとらえるものはちがう。
流れていった哀しみがある。
そして哀しみは、そんなに悲しいものじゃない。
もともと僕らがみんな背負っているものだもん。
ひとつ嘘をついた。
おにぎりを握るお母さんの手で
僕は一度ページをめくる手を止めた。
すげえ、写真集だ。
小説を書きたくなった。
映画を撮りたくなった。
家に帰りたくなった。
仁くん
写真集やっと見れた
というか
やっと見る目がきて
いま沁みた
また凄い本でした
バタードックで撮影した時に
お母さんの声が
仁また 勝手に庭使ってー
もー
って声
前回見た そこにすわろうとおもう
の時もそうだったけど
写真のページ見てると目から背中から頭から体液がどばどばでてく
そんで最後はそれらと一緒に笑い声がでちゃうんだよね
そんででーんと部屋に寝っ転がって地球の重量を感じて
あーーー って一声あげる
今にも噴火してはちゃめちゃになってしまうような、
でももうずっとずっと遠く冷たくなってしまうようなことが
いつもそこにあるって
感じるよ。
そこにはまだ名前がないから 右往左往こころがしちゃうから こうして写真で見ていられると、何かどこか 諦めがついて泣き止んで眠る子供みたくなれるんだな。
最後の文章すごくすごく
好きだよ
もう これだな って
全部僕を知っていて まるで
全部わかられちゃってるみたいな気持ち
あぁーー
いいなぁ
これだなぁって
まだ 僕にもまだ触れたり
鳴ったり 進んだりもどったりできる気がしてきた。
パンティのジャングル
未来を思うなら
絶対そっちだな。
仁の作り出す、余白と過剰に、いつもとまどい、そして、
昔は撮った写真をプリントして、
大橋仁写真集「はじめてあった」に寄せて
七尾旅人
わからない、わからないと訴えかけてくる、大橋仁の写真。
殴られても蹴られても、唾を吐きかけられ、なじられても、
抱きとめられ、慈しまれ、愛されても、
わからない。
人間がわからない。
命がわからない。
存在がわからない。
永続性がわからない。
恒久性がわからない。
家族がわからない。
意味がわからない。
だから毎日生傷を作って、血塗れになって、
誰かがスマートフォンを取り出してこう言う。「写真なんて、
使い捨てカメラが爆発的に普及した時代の比ではないほど、
出版文化としての写真芸術は追い詰められ、
わからない、わからない、わからない、わからない。
撮っても撮っても、わからない。
人間がわからない。
命がわからない。
存在がわからない。
永続性がわからない。
恒久性がわからない。
家族がわからない。
意味がわからない。
19の餓鬼だったあの頃、初めて出会った、
本当か?大橋仁。
本当にわからないのか?
19の餓鬼だったあの頃、
「はじめてあった」
これほど美しく撮られた母親の死顔を初めて見た。
大橋仁の馬鹿野郎。あんたはわからないだろうけど、
「静止している写真で、動画以上の、
凄い写真集が届いた。
大橋仁にしかできない、
だけど誰もが心当たる愛し方。
この写真集は、世界レベルのアートだ。
捲っても捲っても続く最初の波の写真、同じ様に見えて一枚一枚全部違う写真なのよ。波の写真を見ているだけで涙がでた。全部が、はじめてあったなのよ
はじめて、を目の前にするとおののく。
壁のようにも槍のようにも棘のようにも見える。
はじめて、は僕を臆病にする。
でも営みの流れの中で、はっと気づくことがある。
今のはじめてだった、って。
それは意識の外にあり、気づいた時には乗り越えたり、たしなんだり、遊んだりしている。
これまでの仁さんの暴力性だけでなく、人生の中で出会ってしまう野生的なはじめてを、仁さんと肩を並べて眺めている気持ちになりました。
射精なんて比にならないです。
ありがとう。大橋仁。
1972年 神奈川県生まれ。
1992年 第8回キヤノン写真新世紀/荒木経惟選・優秀賞受賞
1999年 写真集『目のまえのつづき』(青幻舎)
2005年 写真集『いま』(青幻舎)
2012年 写真集『そこにすわろうとおもう』(赤々舎)