青幻舎

青幻舎

自分の性癖と
母の死と
昆虫たちが
命の記憶へと
向かっていく

自分の性癖と
母の死と
昆虫たちが
命の記憶へと
向かっていく

事件といっても過言ではないような、大きな物議を醸した衝撃作「そこにすわろうとおもう」から10年。静かに沈黙を破る、大橋仁の新作がついに完成。

 

大橋にとって写真を撮ることとはそうせざるを得ない行為であり、自分の命が反応してしまったものを、命が命じるままに記録したものが写真であるという。

脳細胞を直接刺激する何かへの反応。


射精のようでただ気持ちがよいわけではない、排泄のようでそれほど簡単ではない、やらざるを得ない、出さざるを得ない、人間の本能や命の深いところと関わっている、生きることの副産物として生まれるもの。

 

人ははじめての人生を生きている。

そして、人生とは「はじめて」との出会いを繰り返している行為ともいえる。

 

母の死
昆虫の視線でパンティを透かして見た
生命の旋律
肉として生きるとは、人とは。

 

本書は大橋にとっての自分の中の「はじめて」との出会いの記録である。
目の前に「はじめて」「あった」ものが写真になる。
それは処女作「目のまえのつづき」から変わらないスタンスといえるだろう。

 

本書に収められた写真をどう捉えるか、それは見る者に委ねられている。
先入観を捨てて、大橋の命ともいうべき写真群を眺める時、そこには見る者にとっての「はじめて」が「ある」

コメント一覧

大橋さんの変わらない中身を感じることができる最高の写真集でした!

浅野忠信

俳優

大橋仁「はじめて あった」に寄せて

 

大橋仁の写真の中に閉じ込められた生と死を前に、

彼と、はじめて あった、のはいつのことだろうかと考えた。

そんな昔のこと、覚えているはずもなく、

それでまた、彼が人間の鎖のように撮った写真を見つめた。

食卓を前にした父と母の笑顔、この時間、たった一枚でいい。

2023331日、大橋仁50歳の春を祝う

大橋仁の青の時代。

悠々と生きて、おめでとう、そしてその変わらなさに、ばかやろう!

写真は進歩も発展もないな。だからこそ立ち止まってこそ素晴らしい。

新井敏記

SWITCH編集長

大橋 仁さんへ

 

私が大橋さんと出会ったのは

私が身体も心もとても弱っていた時でした。

あの時、タクシーの中で

少年のようにカメラを持って

冒険しようぜって顔をしていて、

わたしはそれに追いつけず

もじもじしていたと思います。

もし、もっと近くに大橋さんがいたら、

はずかしがらずに、

日々のいろんなことができたのかもと思います。

でも、そんなことは恋人にでもならないと

できないかもです。

なので、今作は大橋さんがどんな人であるか

わかる重要なもので、

みなさんにとってもそうなのではないかと

思います。

川本真琴

ミュージシャン

ご無沙汰です。

はじめてあった

ありがとう。

心を正座して見ました。

ページをめくるたび、楽しみにしていた、
ずっと待っていた映画を見てるようでした。

見終わったら、心が真っ白になりました。

また、生きて行けると思えました。

ありがとうございました。

カンパニー松尾

AV監督

人が生きて、去っていくっていう、普遍的な営みが胸に迫った。みんないずれいなくなってしまうんだけど、もしかしたら生きた跡はなにも残らないかもしれないけど、そこにいたことは確かなんだな、とか。それでいいんだな、とか。

個人の心の内は見えないんだけど、その人のことはきっと誰かが覚えてるんだと思う。そういう希望。

一瞬の煌めきのようなつながりもあれば、ずっと残る温かな手触りもある。

大橋仁の写真集の中でも、特に、切実で優しかった。

木内昇

小説家

「はじめてあった」

 

つい何度も見てしまい、考えさせられました。

 

この余韻はなんだろう・・・

写真集というよりも本。

せつなく、やさしい。

 

仁さんは知っていたはずの日常の中に「はじめてあった」世界を見せてくれる。

これがあるから、仁さんなんだと・・・

岸良裕司

経営コンサルタント

「相変わらずハードコア

でも映画観てるみたいだった。相変わらずじんじんやなと思いつつ、やはり圧倒されました」

岸田繁

作曲家/バンドマン

大橋仁の写真は断崖である。向こうがない。手前もない。写真一枚が切り立った脱出口。驚くほど静かに机上に開かれている。そこに充満する洪水のような沈黙。音も匂いも遮断された日常。しかし瞬きの後、もう一度見直すと、写し取られた風景や人が、溶解し、揺り戻され、生き始めるように感じるのだ。写真の肌理(きめ)に宿るそんな予感が見る者の生理を刺激し挑発する。そしてそのあげくに不思議なことが起こる。写し出された海も空も女も、死のうとして生き残った者も、生きようとして死んでいった者も、草や木に至るすべてのものたちが、わたし自身に他ならないと感じる。

小池昌代

詩人/小説家

目の前の続きの続きって感じがして、仁ちゃんの歴史を感じました。

日常とエロと死。

グッときたよー!

素晴らしい!

斉藤和義

ミュージシャン

大橋仁の「はじめて」につきあわされた。

余白が記述を迫ってくる。物語のことばが湧いてくる。

でもその余白は白いままでなければならない。

白は呼吸している。

大橋仁はほんとうに果てしないバカだなあ、と思う。

こちらの心を締め付けるほどの美しいバカにはそうそう出会うことはない。

生きて死ぬことがこんなにつまった一冊の本をわたしは知らない。

佐藤澄子

翻訳家

放り投げられたように生がある。我思うゆえに我ありなんて、クソくらえで。我あるから、他者や血のつながりとも関係して、毎日が続いて、時おり死もあって、それが人生と呼ばれるなら、そう呼ぼう。でも、決して絶望してるわけではなくて。だって、こうやって写真集のページを捲っていくと、何かが立ち現れてきて、そこには生きる謎と呼ばれるようなものまで見えて、先へと踏み出していける諦めと、勇気をつかまえられる。だからこそ、これぞ、大橋仁、渾身なのだ。 

瀬々敬久

映画監督

写真集 はじめて あった / 大橋仁 

写真集をみながら、息をするのを忘れていた。

 最初から最後まで同じスピードでページをめくっていた。 

そうしないといけない気がした。

 時間はそうやって誰のうえにも同じように流れていくから。

 写真がとらえているものと、

 並んだ写真がとらえるものはちがう。

 流れていった哀しみがある。 

そして哀しみは、そんなに悲しいものじゃない。 

もともと僕らがみんな背負っているものだもん。 

 

ひとつ嘘をついた。

おにぎりを握るお母さんの手で

僕は一度ページをめくる手を止めた。

すげえ、写真集だ。

小説を書きたくなった。

映画を撮りたくなった。

家に帰りたくなった。

高崎卓馬

クリエイティブディレクター

仁くん

 

写真集やっと見れた

というか

やっと見る目がきて

いま沁みた

 

また凄い本でした

バタードックで撮影した時に

お母さんの声が

 

仁また 勝手に庭使ってー

もー

 

って声

 

前回見た そこにすわろうとおもう 

の時もそうだったけど

写真のページ見てると目から背中から頭から体液がどばどばでてく

そんで最後はそれらと一緒に笑い声がでちゃうんだよね

 そんででーんと部屋に寝っ転がって地球の重量を感じて

 あーーー って一声あげる

 今にも噴火してはちゃめちゃになってしまうような、

でももうずっとずっと遠く冷たくなってしまうようなことが

 いつもそこにあるって

感じるよ。

 そこにはまだ名前がないから 右往左往こころがしちゃうから こうして写真で見ていられると、何かどこか 諦めがついて泣き止んで眠る子供みたくなれるんだな。

 最後の文章すごくすごく

好きだよ

 もう これだな って

 全部僕を知っていて まるで

全部わかられちゃってるみたいな気持ち  

 あぁーー

いいなぁ

 これだなぁって

 まだ 僕にもまだ触れたり

鳴ったり 進んだりもどったりできる気がしてきた。

 

 パンティのジャングル

 

未来を思うなら

絶対そっちだな。

永積 崇

(ハナレグミ)ミュージシャン

仁の作り出す、余白と過剰に、いつもとまどい、そして、最後は飲み込まれていく。人生を前にして、宇宙を前にして、いつもとまどい、結局飲み込まれていくように。

松尾スズキ

俳優、演出家、小説家

昔は撮った写真をプリントして、それらを分厚い表紙の冊子の中に収めていった。写真を集めた冊子のことをぼくらはアルバムと呼んでいた。歌を作って歌っているぼくからすれば、アルバムというのはちょっと別の意味になる。いくつもの歌を収めたレコードやCD、それをアルバムと呼ぶ。本になって出版される写真集もまたアルバムと呼んでいいのだと思う。大橋仁さんの『はじめて あった』のページをめくりながら、ぼくは一枚の音楽のアルバムに耳を傾けているような気持ちになった。一枚のアルバムの中にはいろんなことを主題にしたいくつもの歌が収められ、歌と歌の間には無音の空間があり、アルバム全体を聴き終えると、それぞれ異なっていると思えていた主題がひとつに繋がって結びついている。それはまさに写真集のタイトルが伝えているように、生きるということは、はじめての出会い、はじめての別れ、はじめての存在、はじめての認識、はじめての感覚、はじめての体験の連続だということ。すべては一度きりゆえ、生きるということは、どれほど素晴らしく、どれほど愛おしく、どれほど悲しく、どれほど寂しく、そしてどれほど大切なことか。その重さと深さがページをめくるぼくの心に強く響いてくる。

中川五郎

フォーク・シンガー

大橋仁写真集「はじめてあった」に寄せて

七尾旅人

 

 

わからない、わからないと訴えかけてくる、大橋仁の写真。

殴られても蹴られても、唾を吐きかけられ、なじられても、

抱きとめられ、慈しまれ、愛されても、

わからない。

 

人間がわからない。

命がわからない。

存在がわからない。

永続性がわからない。

恒久性がわからない。

家族がわからない。

意味がわからない。

 

だから毎日生傷を作って、血塗れになって、誰よりも肉薄しようとするが、わからない。

 

誰かがスマートフォンを取り出してこう言う。「写真なんて、誰にでも撮れる」と。

使い捨てカメラが爆発的に普及した時代の比ではないほど、撮影行為は我々にとって身近なものとなり、SNSなどネット上の新しいメディアがそれを加速させ、写真は毎秒ごとに無限生成される、この星の記憶素子の如きものに変わった。

出版文化としての写真芸術は追い詰められ、安価で粗悪な紙質を受け入れざるを得なかった写真集たちが書棚の片隅で息を潜めるなか、無茶苦茶な負債を抱え込みながら練り上げられる、大橋仁の化けものじみた作品群。尽きることのない執念。

わからない、わからない、わからない、わからない。

撮っても撮っても、わからない。

 

人間がわからない。

命がわからない。

存在がわからない。

永続性がわからない。

恒久性がわからない。

家族がわからない。

意味がわからない。

 

19の餓鬼だったあの頃、初めて出会った、嘘のない笑顔を向けてくれる男。7歳上の兄貴だった大橋仁が50になって、まだ、わからないと言っている。

本当か?大橋仁。

本当にわからないのか?

 

19の餓鬼だったあの頃、一度だけ行った大橋仁の生家が忘れがたい。母親との奇妙な緊張関係。およそ母子のものとは思えない会話。半身不随の義父。存在しないことによって常に付き纏う暴力的な実父の影。玄関先には、今ではもういなくなってしまった白い雑種犬。大橋仁が家族のなかで唯一笑顔を向けていた、あの犬。

 

「はじめてあった」

 

これほど美しく撮られた母親の死顔を初めて見た。

 

大橋仁の馬鹿野郎。あんたはわからないだろうけど、あんたの根源に棲みついた子供を、その微笑みを、ずっと愛している。永続的に。写真のように。 

七尾旅人

シンガーソングライター

「静止している写真で、動画以上の、しかもエピックな映画以上の、物語が語れる、ということをいつも仁さんは写真集で教えてくれる。特に今回は、ある物語を語っているのではなく、恐らく仁さんの一番深い、パーソナルな部分の物語なんだろうと思う。

藤倉大

作曲家

凄い写真集が届いた。

 

大橋仁にしかできない、

だけど誰もが心当たる愛し方。

 

この写真集は、世界レベルのアートだ。

箭内道彦

クリエイティブディレクター/東京藝術大学教授

捲っても捲っても続く最初の波の写真、同じ様に見えて一枚一枚全部違う写真なのよ。波の写真を見ているだけで涙がでた。全部が、はじめてあったなのよ

山本詩子

天使大学大学院 助産学教授 山本詩子

はじめて、を目の前にするとおののく。
壁のようにも槍のようにも棘のようにも見える。
はじめて、は僕を臆病にする。
でも営みの流れの中で、はっと気づくことがある。
今のはじめてだった、って。
それは意識の外にあり、気づいた時には乗り越えたり、たしなんだり、遊んだりしている。
これまでの仁さんの暴力性だけでなく、人生の中で出会ってしまう野生的なはじめてを、仁さんと肩を並べて眺めている気持ちになりました。
射精なんて比にならないです。
ありがとう。大橋仁。

金田康平

(THEラブ人間)ミュージシャン

書籍紹介

Charles Fréger's books

書籍紹介

AAM AASTHA
(アーム アスタ)

インドの信仰と仮装
ー分かち合う神々の姿

WILDER MANN
(ワイルドマン)
―欧州の獣人
仮装する原始の名残

YOKAI NO SHIMA
日本の祝祭 
― 万物に宿る神々の仮装

CIMARRON
(シマロン)

ブラック・アイデンティティ
ー南北アメリカの仮装祭

はじめて あった


定価:12,000円(本体10,909円)

著者:大橋仁
言語:日英併記
判型:253×283mm
総頁:240頁
製本:上製
ISBN:978-4-86152-911-5 C0072

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大橋 仁

1972年 神奈川県生まれ。
1992年 第8回キヤノン写真新世紀/荒木経惟選・優秀賞受賞
1999年 写真集『目のまえのつづき』(青幻舎)
2005年 写真集『いま』(青幻舎)
2012年 写真集『そこにすわろうとおもう』(赤々舎)

オフィシャルサイト