明治6年に生まれた玉堂は17歳で京都の円山四条派の幸野楳嶺に入門。22歳の時に上京し狩野派の橋本雅邦に入門しました。以来山村や田園風景など日本の自然と生きる人々の生活を描き続け詩情豊かな独自の風景画を築きあげました。昭和15年には文化勲章を受賞し横山大観や竹内栖鳳などとともに近代日本画壇を代表する作家として活躍しました。玉堂の作品には日本人の心の奥に潜む細やかな情感が巧みに表現され多くの人々に深い共感と安らぎを与えています。昭和19年玉堂は戦火を避けて東京都下西多摩郡に疎開し84歳で没するまでこの地を離れず多くの傑作を描きました。巡りゆく美しい日本の四季の変化を自分の人生に重ね合わせるという玉堂の見事な生き方が感じられます。
福井文夫(前富山県水墨美術館副館長)-序文より抜粋-
玉堂美術館http://www.gyokudo.jp/
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明治6年に生まれた玉堂は17歳で京都の円山四条派の幸野楳嶺に入門。
22歳の時に上京し狩野派の橋本雅邦に入門しました。
以来山村や田園風景など日本の自然と生きる人々の生活を描き続け
詩情豊かな独自の風景画を築きあげました。
昭和15年には文化勲章を受賞し横山大観や竹内栖鳳などとともに
近代日本画壇を代表する作家として活躍しました。
玉堂の作品には日本人の心の奥に潜む細やかな情感が巧みに表現され
多くの人々に深い共感と安らぎを与えています。
昭和19年玉堂は戦火を避けて東京都下西多摩郡に疎開し
84歳で没するまでこの地を離れず多くの傑作を描きました。
巡りゆく美しい日本の四季の変化を自分の人生に重ね合わせるという
玉堂の見事な生き方が感じられます。
福井文夫(前富山県水墨美術館副館長)-序文より抜粋-
玉堂美術館
http://www.gyokudo.jp/