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ファン・ゴッホ(1853-1890)は生きることの難しい人間であった。 その気難しさと真剣さとのゆえに妥協ができず、 何をやっても人とぶつかり、何をやっても社会に適応できない。 (中略)もし、ファン・ゴッホに天才と呼ぶべきものがあったとすれば、 それは決して画才ではなく、生きる難しさに耐え、 残された道にすべての力を傾注できるだけの 強靭な生命力だったとしか言いようがない。 この生命力に限りない羨望を抱き、希望を託し、10年にわたって ゴッホの経済的、精神的支えになったのが弟のテオである。 ゴッホがアルルで次々と傑作を描き始める前から、 テオは「あと何年か生きられたらきっと名声を得る」と 世界中に最初に、そしてただ1人、 ファン・ゴッホの成功を予言していたのである。
圀府寺 司(大阪大学文学研究科教授)―序文より抜粋―
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ファン・ゴッホ(1853-1890)は生きることの難しい人間であった。
その気難しさと真剣さとのゆえに妥協ができず、
何をやっても人とぶつかり、何をやっても社会に適応できない。
(中略)
もし、ファン・ゴッホに天才と呼ぶべきものがあったとすれば、
それは決して画才ではなく、生きる難しさに耐え、
残された道にすべての力を傾注できるだけの
強靭な生命力だったとしか言いようがない。
この生命力に限りない羨望を抱き、希望を託し、10年にわたって
ゴッホの経済的、精神的支えになったのが弟のテオである。
ゴッホがアルルで次々と傑作を描き始める前から、
テオは「あと何年か生きられたらきっと名声を得る」と
世界中に最初に、そしてただ1人、
ファン・ゴッホの成功を予言していたのである。
圀府寺 司(大阪大学文学研究科教授)―序文より抜粋―