1921年(大正10)年にフランスに渡り、ニースの画廊で偶然に絵を見たマティスに「この男は色彩をもっている」と称賛を受けた青山義雄。戦中の数年の帰国を除き、92歳までフランスで暮らしヨーロッパ各地を旅した。日本人離れした自由な感性で、人生を謳歌し描いた世界は、没後20年を経てもなお人生と絵画の幸福を私たちに伝えてくれる。
第II巻: 第2回渡仏期1952-1986/最終帰国から最晩年1986-1996/年譜 橋 秀文
展覧会情報 『青山義雄展』 横須賀美術館 2018年2月10日土(土)~4月15日(日)
青山義雄(あおやま よしお) 1894年(明治27)年、神奈川県横須賀市生まれ。大下藤次郎が主宰していた日本水彩画会研究所で学ぶ。1921年(大正10年)渡仏。サロン・ドートンヌに入選。南仏での暮らすなかでマティスと出会う。当代一流の絵画コレクターであった福島繁太郎と親交を結び、梅原龍三郎に嘱望されて国画会の会員となる。戦中の帰国ののち再渡仏。92歳に帰国。102歳で死去。
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1921年(大正10)年にフランスに渡り、ニースの画廊で偶然に絵を見たマティスに「この男は色彩をもっている」と称賛を受けた青山義雄。戦中の数年の帰国を除き、92歳までフランスで暮らしヨーロッパ各地を旅した。日本人離れした自由な感性で、人生を謳歌し描いた世界は、没後20年を経てもなお人生と絵画の幸福を私たちに伝えてくれる。
第II巻:
第2回渡仏期1952-1986/最終帰国から最晩年1986-1996/年譜 橋 秀文
展覧会情報
『青山義雄展』
横須賀美術館 2018年2月10日土(土)~4月15日(日)
青山義雄(あおやま よしお)
1894年(明治27)年、神奈川県横須賀市生まれ。大下藤次郎が主宰していた日本水彩画会研究所で学ぶ。1921年(大正10年)渡仏。サロン・ドートンヌに入選。南仏での暮らすなかでマティスと出会う。当代一流の絵画コレクターであった福島繁太郎と親交を結び、梅原龍三郎に嘱望されて国画会の会員となる。戦中の帰国ののち再渡仏。92歳に帰国。102歳で死去。