青幻舎マガジン

グラフィックデザイナー 村田良平

京都/拠点 : work & life in Kyoto
vol.14

活版の過去と未来をつなぐ挑戦。
一人のデザイナーが「活字」に見出した未来とは?
グラフィックデザイナー 村田良平

 

 京都・一乗寺。通りに面したガラス張りのショーウインドウから見えるのは、かなり味のある活版印刷機。それは、「機械=四角いハコ」のイメージとはかけ離れた、レトロ感たっぷりの愛すべき姿。不思議な運命に導かれるようにこの印刷機を譲り受け、デザイン会社を退職して独立した村田良平さん。精悍な笑顔が爽やかな彼は、こう見えて頼れる三児の父でもある。そんな彼の独立、その意図とはいかに!? そして、どうなる村田家!? 村田さんの新しい視点や思い切りの良さは、きっと誰もに、新しい一歩を踏み出す勇気を与えてくれるはず。

text:ヤマグチノリコ/photo:松村シナ

活版印刷は斜陽か? はたまたチャンスか?

 レトロな活版印刷機「チャンドラー」、今回はまずこの音(再生▶MP3)から聞いていただきたい。50年以上前(推定)の日本製で、現役で動いているのはかなり希少だとか。そして、これこそがグラフィックデザイナー・村田良平さんの頼れる相棒であり、大切な宝物。師匠として敬愛する、2012年に惜しまれつつも60年の歴史を閉じた「加藤第一印刷」の加藤博社長から譲り受けたものだ。

 ビューーンという加速音に、カタン・カタンと鳴るリズミカルな響き。50年の時を刻んできた機械と、村田さんが共に奏でる音色だ。そして、この機械の堂々とした風格たるや! インクを乗せる円盤型のプレートや丸いハンドルもカッコイイ。ドラムセットのような楽器にも見えるし、私は加速音を聞いた瞬間、「あ、これはタイムマシーンだ!」と思ってしまった。なぜだか(笑)。

 この活版印刷機を携え、村田良平さんがグラフィックデザイナーとして独立したのは、2012年4月のこと。正に旅立ちにふさわしい季節である。ん? なぜ、需要激減や後継者問題などから斜陽産業と言われる(師匠ですら廃業された)この分野で独立を決意したのだろうか。

グラフィックデザイナー 村田良平

 「僕は決して『印刷屋』を引き継いだわけではないんです。あくまで自分はデザイナーであり、りてん堂は『デザイン工房』です」と村田さん。つまり、活版印刷が売りであるのは当然だが、あくまで軸は「デザイン」に置いているということ。デザインのみの依頼も受けるし、印刷機も家庭用コピー機も使えば、場合によっては格安のオンライン印刷も使う。なぜなら、看板であれチラシであれ、デザインとは誰かに「メッセージ」を伝えるためのものだから。大切なのは何に刷るかではなく、「何をどう伝えるか」ということ。その上で活版がベストなら、最高のデザインと印刷を提供したい、という考えだ。「でも、まさか、」と続ける。「独立の2ヶ月前には、こんな未来が待っているなんて想像できませんでした」と笑う。そう、独立は正に青天の霹靂。どんなに願っても運命が変わらないときもあれば、変わる時には否が応でもどんどん変わっていってしまう。これだから人生は面白い。

グラフィックデザイナー 村田良平 グラフィックデザイナー 村田良平

左:村田さんのデザイン工房「りてん堂」外観。
右:2014年発売のちくま文庫『素湯のような話』(岩本素白・著/早川茉莉・編)で装丁を手がけた。こちらは通常のオフセット印刷。

「活版印刷」のレキシとその魅力

  話を進める前に「活版印刷」について簡単におさらいを。活版印刷とは、15世紀のドイツで発明された「グーテンベルクの活版印刷」以来、数世紀もの長きに渡る歴史を歩んできた印刷技術のこと。そういえば、世界史で丸暗記したっけ? なんて人も多いかもしれない。そして、構造はごくシンプルだ。「活字」と呼ばれる鉛で出来た文字を一文字ずつ拾って「版」を作り、そこにインクを付けて紙に転写する。版から紙へ直接印字することで、活字の持つ質感がそのまま表現される仕組みだ。百聞は一見に如かず。実際に見本を手にとってみるのが一番いい。「ありがとう」というシンプルな言葉ひとつでも、通常の印刷物にはない、心地よい重さを感じるはずだから。刻印された文字の一つひとつ、そこから生まれた言葉に、確かな存在感があるはずだから。

  ちなみに、業界の低迷と逆行するかのように、あちこちで嬉しいリバイバルブームが起きているのも事実。作家やデザイナーなど、個性を求める人たちが活版で名刺を作ったり、節目の挨拶状を作ることも。その際、「刷りムラや、1枚ずつ仕上がりが異なるのが魅力」と語る人もいるが、それは「大きな誤解です。職人の世界ではあってはならない例なんです」と村田さん。アート作品として求めるのは別として、活版では決して刷りムラが生まれてはならない。何百部、何千部刷ろうが、同じクオリティを守るのが職人の使命なのだ。

グラフィックデザイナー 村田良平 グラフィックデザイナー 村田良平 グラフィックデザイナー 村田良平

左:活字を組み合わせてつくる「版」の例。文字間には金属製の「コミ」、行間には木製の「インテル」を入れ、バランスを整える。パソコンなら数値を入力するだけでできるものが、見よ、この細かさ!
中:左の版で実際に印刷したもの。一文字一文字に強さと温かさが生まれる。[写真提供:りてん堂]
右:印刷機は手差し式。テンポ良く一枚ずつ紙を差し込みながら印刷をする村田さん。

そのとき運命は動いた!? —独立への日々

グラフィックデザイナー 村田良平

 

 独立に遡ること1年前、村田さんは、京都市内のデザイン・編集事務所で順風満帆な生活を送っていた。得意とするのは、書籍や雑誌のレイアウトを手がける「エディトリアルデザイン」。美しいビジュアルと同時に「長い文章」を読ませるためのメリハリや、文字のレイアウトに人一倍こだわりをもち、経験を積んできた。

 そんな自分自身の成長のため、「現代印刷や組版(レイアウト)の元祖である活版印刷を学びたい」と、週末を利用して月2回、東山三条の加藤第一印刷に修行に通い始めたのだった。指導してくだったのは御年80歳を越えながらも、現役職人である加藤社長。「その世界は、パソコンひとつでデザインするときとは異なる身体感覚でした」と村田さん。すべてが新鮮な世界、そして溜息がでるほど美しい刷り上がり。「活版は何て面白いんだ!」とあらためて感動していたある日、加藤社長から「工場を閉めようと考えている」という衝撃の告白を受ける。折からの需要減もあり、何年もの間続けるべきか、退くべきか揺れ続けてきたのだ、という。村田さんは渾身の力で止め、応援した。活版の奥深さと希少性、素晴らしい職人技術を一人のデザイナーとして誰よりも真近で体感していたから。

 しかし、時の流れには逆らえない。2012年の年が明け、2月になると工場の買手も見つかり、退去日が4月になることが決定。となると、加藤社長や村田さんの次なる懸念は、3台の活版印刷機の引き取り手だった。工場で使っていたのはドイツ製の自動活版印刷機「ハイデルベルク」。せめて、加藤社長が使ってきた一台だけでも、顔が見える人のもとで使ってもらえないだろうか――。残り2ヶ月、彼の奔走が始まる。同じ想いを共有する人たちと、勤務先や美術大学への寄託を計画するも、どれも実現に至らず断念。そのうちに「僕が引取るべきなのかもしれない」、そんな想いへと傾いていった。もちろん、いつかは独立したいと思っていた。しかし今ではなかった、しかも印刷機付き。必然的に事務所を借りなくてはならない。

 同時に村田さんの心に引っかかっていたのは、膨大な活字の行先だった。実は、印刷機の需要はまだまだ高い。他の特殊印刷にも使えるし、活字がなくても亜鉛やプラスチックで版が作れるためだ。しかし活字は、無惨に捨てられてしまうだろう。一文字ずつ拾って版を作っていくスタイルは、現代において余りに手間がかかり過ぎるのだ。
 「でも、」と再び思い直す村田さん。活字を作る職人さんは今や全国でわずか一社ほど。捨ててしまったら二度と手に入ることはないだろう。中には、パソコンでも再現できない書体も多い。「もしかしたら、活字にこそ、活版が生き残る可能性が潜んでいるのかもしれない。例えば職人さんにはできないデザインを提案してみたらどうだろう?」。ふと心に点った小さな希望。気がつけば「活字は自分が買い取る」と心に決めていた。勤務先にも2ヶ月後の退社の意志を伝えていた。

グラフィックデザイナー 村田良平

書体(明朝・ゴシック体など)、号数(大きさ)共に様々ある中から、デザインに合わせた活字を選ぶ「分選」作業をする村田さん。かつて、加藤社長の印刷所には、「活字を選ぶ職人」「版を作る職人」「印刷する職人」「版をばらす職人」がいたそうだ。正に一大産業だったことがしのばれる。

 いざ、一乗寺へ。幸運な出会い

 村田さんは振り返る。「正直、独立までの2ヶ月のことはあまり覚えていないんです。あまりにも目まぐるしすぎて。だから決められたのかも(笑)。同じグラフィックデザイナーである妻が最後に背中を押してくれたのも大きかった」。その奥さまの涼子さんは言う。「夫は一度決めたら一直線に進む人なので、止めてもきっとやるだろうという想いもありました(笑)。でも、夫の決断はきっとうまくいく気がしたんです。それに、何万字もの活字を救えたのも嬉しかったですね」。

 こうして涼子さんのサポートを得て、4月に独立し、6月に晴れて工房をオープン!と決してすんなり行かなったところもドラマチック(失礼)。工場近くで借りるつもりだった物件が、大家さんとの条件交渉が決裂して白紙に。引き取るはずだった自動印刷機「ハイデル」が3台まとめてお嫁に行くことが決まり、手差し式の「チャンドラー」を引き取ることになったり……。そして巡り会ったのは一乗寺の地。これがまさかの好物件、残り福とはよく言ったものである。書店「恵文社 一乗寺店」やパティスリー「むしやしない」などの人気店が並ぶ曼殊院通りの路面店で、外壁は予期しなかったガラス張り。折角なのでと、ショーウインドウ近くにチャンドラーを配置。すると、新しいご近所さんを珍しがって、物書きに歌手、カフェ店主など、近所に住む個性的な面々が続々とのぞきにやってきた。

 例えば、同年の秋に近所にギャラリー・カフェをオープンした「Black bird White bird」さんは、活字を運び込んでいる様子を見かけたそうで、後日ショップカードの印刷を依頼してくれた。編集者の加藤わこさんは、工房を偶然見つけ、興奮覚めやらぬまますぐにブログで紹介。私がこちらを知るきっかけとなったのも、近所のカフェ日杳さんの一言だった。三児の母である、涼子さんのママ友ネットワークも見逃せない。若いママ世代にも活版の魅力がぴたりと響いたようで、ショップカードや挨拶状など女性からの注文がいろいろ舞い込んで来るとか。そう、この町は驚くほどに、新しいこと、楽しいことが口コミでどんどん広がっていく。「独立して工房を設けることで、こんなに多くの方々と出会えるなんて、思ってもみませんでした。偶然見つけてくださったり、誰かが紹介してくださったり。仕事はともかく、友人・知人はかなりの数に増えました(笑)。おかげで、新しい刺激をたくさんもらっています」

グラフィックデザイナー 村田良平

 

グラフィックデザイナー 村田良平

上:工房入口の看板。
下:工房内の様子。直前の借り手が内装屋さんだったそうで、黒い壁紙はレザー風! 大きなショーウインドウのおかげで印刷機が通りからも目立つ存在に。

活字で勝負するということ。

グラフィックデザイナー 村田良平 グラフィックデザイナー 村田良平

左:欧文活字を組み合わせて版を作ったオリジナルポストカード。右:オリジナルの蔵書カード。

 「デザインの相談窓口」であるりてん堂が、誰でもふらりと立ち寄れる路面店にあるのは、実はとても珍しく、頼もしいことである。デザインは生活者の暮らしを豊かにするためにこそ、あるのだから。そんな想いから、工房では多くの人にデザインや活版に親しんでもらうため、オリジナルのポストカードや一筆箋などを販売している。どれも、活字の味わいやメッセージがダイレクトに伝わる「文字」を生かしたデザインだ。

 そして今では、チャンドラーとの相性も抜群。手差し式ゆえに、厚手の紙の印刷にも対応できるし、最近ではオーダーを受けて、唐紙や手漉きの和紙に印刷するという新しい試みにも挑戦した。もちろん、どんなときでも師匠の教えを守り、常に最高のクオリティで挑むという真摯な姿勢はかわらない。それゆえに熱心な印刷屋さん、と間違われること多く悩んでしまうこともあるそうだが……。「悩みや迷いなんて毎日のこと。でもそれこそが、新しいことにチャレンジしていく、ということなのだろうと思います。いろんなお客さんとの出会いが、きっと自分たちを育ててくれる。今はそう信じて、できることを提案し続けていきたい。そしていつかは、活版の黄金時代のように、活版印刷で書籍を作ってみたいですね」。

 冒頭、私は「印刷機はまるでタイムマシーンだ」と書いたけれど、あらためて、その直感は正しいのかもしれないな、と思った。印刷機を回しながら、活版の歴史や熟練の職人さんたちの歴史をビューンと遡り、そこから新しい未来にビューンと突き進む村田さん。正に彼が運転する乗り物にぴったりではないか。

グラフィックデザイナー 村田良平

 

グラフィックデザイナー 村田良平

活版で印刷した展覧会DM。2013年3月に開催された長崎彰太さん・伊世さんの『しかけこばこ と 虚ろのはなし』(同時代ギャラリー/京都)。活字だけで印象的な仕上がりに。[写真提供:りてん堂]

京都拠点 その理由とは

 「僕は鹿ヶ谷生まれ、現在は岡崎在住。大阪のデザイン事務所で仕事をしていたこともあるけれど、京都に職場をもってよかったなと感じるのは、小回りの効く町の『コンパクトさ』にあると思います。口伝てにこの工房の話を聞いた人が、翌日早速訪ねてきてくれたり。人と人との距離も近いですしね。自分の子どもたちが、友達を連れて遊びにやってくることもあります。会社勤めのときは、正直父親が何をやっているか、あまり分かっていなかったと思うんですよね(笑)。それが目で見えるって、いいことなのかもしれない、と思っています。その分いい所をしっかり見せなくてはですけどね」

グラフィックデザイナー 村田良平

プロフィール:
text:山口紀子(やまぐちのりこ)
ライター・編集者。新潟生まれ。
好奇心と向こう見ずな性格が高じ「日本の根っこ」を探るべく東京経由で京都へ。地域に根付く豊かな文化や手仕事を発掘すべく活動中。共著に『京都こっとうさんぽ』。
http://kyotosumu.jugem.jp/

Photo:松村シナ
SOHOでデザインの仕事をしながら、写真展などの創作活動中。2012年11月より「京都写真教室Tract」の講師も務めながら、日々写真の魅力を追求する。
「torico.」http://torico.petit.cc/
「Tract」http://www.tract-kyoto.com/

PROFILE

グラフィックデザイナー 村田良平

村田良平
むらたりょうへい

1974年京都生まれ。創造社デザイン専門学校卒業。デザイン事務所などでグラフィック・エディトリアルデザイナーとして従事した後、2012年グラフィックデザイン工房「りてん堂」を京都・一乗寺に設立。妻でありデザイナーでもある涼子さんと一緒に、活版印刷を中心に、依頼者の心に寄り添う刷りもの・デザインの仕事を手がけている。
http://www.eonet.ne.jp/~retendo/

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