青幻舎マガジン

京都/拠点 : work & life in Kyoto
vol.01

メンバーが「演じること」を通して
新しい化学反応を起こす
そのサポートが、僕の仕事です。
吉田和睦 -ヨーロッパ企画マネージャー

彼を知ったのは、映画「サマータイムマシン・ブルース」(2005年公開)のインタビュー現場でのこと。和気藹々とした愉快な小劇団に寄り添い、その存在は空気の如く。ヨーロッパ企画の上田誠氏×本広克行監督の対談原稿を執筆しながら、縁の下に潜む男が一体どういった経緯で若者たちの夢に乗っかったのか、気になって仕方がなかった。祇園で酒を酌み交わした、ある夜―演じることだけにこだわらず、だが演じることに繋がる何かを積み重ねて、「劇団の新たな成功事例をつくりたい」と彼が呟いた。食べていくのが困難なアングラの演劇界にあって、果たしてそんなことが可能なのだろうか。その答えを知りたくて、彼らの進む道を見ていたくて、新作のたび劇場へ足を運んでしまうのだ。

text:山田涼子/Photo: MATSUMURAShina

「ヨーロッパ企画」に、出会うまで。

高校生の頃から芝居や映画を観るのが好きだった吉田氏。東京の会社からも内定をもらっていたが、「扇町ミュージアムスクエア(OMS)」(★1)を運営するような懐の深い会社に面白さを感じて大阪ガスに就職を決めた。最初の配属先は営業だった。日々、営業の仕事に励む中で、やはり芝居や映画といった表現に携わるような仕事をしたいという思いが燻り続ける。だがそれは、現状とはあまりにもかけ離れた世界だと感じていたのも事実。いま思えば「働くということに悩む抜いた20代」だったと吉田氏は言う。このままでいいのか、常に己に問いかけていた。
そんな彼のターニング・ポイントは「『みうらじゅん大物産展』~マイ・ブームの国へようこそ~」(★2)というイベント。OMSの15周年記念事業のひとつだった。みうらじゅん氏のファンだったこともあり、OMSに連絡を入れ、そのイベントにボランティアでの手伝いを申し出た。そのことを契機に、数ヵ月後その当時の支配人からお声がかかり、念願の異動が叶う。「人生って何でもアリというか、行動することって大事なんやなあ」と肌身で感じた瞬間だった。当時のチラシを眺めながら、「このイベントに出合ってなければ、いまでも大阪ガスで働いていたでしょうね」と振り返る。
振り返るといえば…『サマータイムマシン・ブルース』(★3)を観て受けた衝撃は、いまなお鮮やかだ。脚本・演出を担当する上田氏の理系ならではのトリッキーな構造や、世界を少し俯瞰した独特の視点、集団としてのユニークさを生み出すメンバーのグループ性など、ヨーロッパ企画の原型ともいえる魅力に魅せられたという。そして、まだ世間に知られていない新しい才能を世の中に広めたい、という想いを強くする。その取っ掛かりとしてのプロデュース企画「TIP COLLECTION」(★4)で、ヨーロッパ企画を招聘。スタッフが発案した企画を最後まで責任を持ってやり切ることを応援してくれる風土や文化があったOMSでの経験が、いまの吉田氏の根底にあるのは間違いない。

「ヨーロッパ企画」から、頼まれる。

ヨーロッパ企画メンバーとの親交を深つつある頃。舞台俳優の大先輩でもある佐々木蔵之介氏が彼らの東京初進出となった舞台『冬のユリゲラー』を観て、「踊る大捜査線」シリーズの本広克行監督にヨーロッパ企画を推薦し、その後『サマータイムマシン・ブルース』(2005年)を観た本広監督が、映画化のオファーをしたことは有名な話。降って湧いた信じ難い依頼に、メンバー一同は意見をひとつにする。連絡を受けた吉田氏がヨーロッパ企画の事務所として現在も間借りしている上田製菓(上田氏の実家)に行くと、メンバー全員が集まっていた。そして彼らは言った。「プロとしてやっていきたい。そして吉田さんと一緒にやりたい」と――。もちろん嬉しかった。彼らが真っ先に頼ってくれたこと。彼らの作品が認められたこと。彼らと一緒に、これから何か大きなことができそうだという予感に、震えた。断る理由はない。……奇しくも、3年間心血を注いだOMSが閉館して半年後のことだった。これもまた、「タイミング」ということだろう。
「明日、『サマータイムマシン・ブルース』の映画化の打ち合わせがあります。上田と一緒に行ってもらえませんか?」――翌日、彼は東京にいた。タイミングに加えて「縁」を引き寄せたのが、アミューズの副社長(当時)である出口孝臣氏。彼もまた、「サマータイムマシン・ブルース」を観ていた観客のひとりだった。出口氏は、北海道を拠点にする「TEAM NACS」を見初めた敏腕で、東京発信ではない「ローカルコンテンツ」の開発に注目していたという。ヨーロッパ企画のメンバーを支えていくなら、そのために必要なことを身につけなければならない。出口氏から得た「それを学びにウチへ来ないか」という誘いに迷うことはなかった。大阪ガスを辞め、アミューズに飛び込んだ。なんという強運か。番組づくりについて、権利ビジネス、プロデュースやマネージメント…1年間の鞄持ちで可能な限りのノウハウを勉強した。毎週土曜日に開かれた出口氏の「私塾」では溢れんばかりの知識と手段を与えてもらった、と吉田氏は言う。それらを抱えて2006年、彼は京都でヨーロッパ企画の会社を立ち上げた。

『ロベルトの操縦』(2011年公演)の公開舞台稽古の1シーン。身体を大きく後ろに反らし、いかにスピード感を表現するかが繰り返し行われていた

「ヨーロッパ企画」と、走り出す。

劇団でありながら、ジャンルに捕らわれることなく、テレビやラジオ、WEB、雑誌、映画…と様々な場で「モノづくり」が出来る集団――それが、ヨーロッパ企画だ。「ショートショートムービーフェスティバル」の企画運営をはじめ、テレビ番組「ヨーロッパ企画の暗い旅」や「タクシードライバー祇園太郎」、「ヨーロッパ企画の町内会ディスコ」やラジオ番組「ヨーロッパ企画永野・本多の劇的ラジオ」の制作に至るまで。加えて、永野宗典氏がバンド「モーモールルギャバン」のPV監督を務めたり、酒井善史氏によるヒーローショーの脚本執筆など、彼らの活動は舞台だけに留まらない。その他、諏訪雅氏も作・演出の仕事をはじめるなど、近頃では上田氏以外にも脚本や演出の仕事にチャレンジするメンバーが増えてきている。その証拠に、新作発表会(★5)では早くも次回作の公開プレゼンをするなど、個性的な企画力を発揮するのもヨーロッパ企画の特色だ。
技術は決して裏切らない。それは芝居だけじゃなく、撮るものも、書くものも同様だ。技術は表現を裏づける。その確固たる信念のもと、彼が一番大事にしていることは、メンバー全員とコンセンサスを取りながら、ものごとを進めていくこと。例えば、映画『曲がれ!スプーン』(2009年)から飛び出したイベントルーム「カフェ・ド・念力」(★6)の運営がそう。カフェの顔をしつつも、OMSの如き映像や芝居など、ノンジャンルで実験的に多彩な表現ができる場を期間限定とはいえ持てないものかと。「お店をやるってリスクも伴うので、みんなにも理解してもらいながら進めました」とオープンまでの苦楽を振り返る。「皆が乗っかれることが何より大事です。皆がいないと僕は何も出来ません。皆がいてこそ、です」。いつでも二人三脚で、いや十人十一脚で、彼はメンバーと共に走り続けている。

「ヨーロッパ企画」の、資産運用。

ヨーロッパ企画の基点は、生モノ=ライブパフォーマンスだ。その源泉たる各自の才能は、吉田氏に言わせれば「資産」となる。いままでにない自分を知る機会を与え、新たな力が目覚めるサポートをする。彼らの「資産」を見極めること、それに見合う仕事を投げかけてみること。言わば、「ウォッチ&コミュニケーション」こそが彼の役目。新しいことに挑戦する姿勢を忘れないでほしい。失敗してもいいから少しくらい無茶するのもいいだろう。自分の好きなことを趣味に終わらせるのではなく仕事に転換する方法を考える。メンバーの意識が刺激されるような、企画性の高いことをやっていきたい。なぜなら、ヨーロッパ企画は「企画集団」なのだから。例え、一見そのハードルが高いように思えても、時機さえ逸さなければ彼らは必ずハードルを越えてくる。そうして手に入れた「資産」の掛け合わせこそが劇団の可能性になる、と吉田氏は信じているのだ。
そして、さらに――。既存「資産」のレベルアップを図り、OMSのようないろんなジャンルの表現が交差し、人が集う場所をつくりたい。京都で大きな、愉快な祭りを行いたい。それが、いまの彼の最大かつ密かな野望なのだ。

手帳は欠かせない仕事道具のひとつ。優先順位と重要度を考慮して見やすくリストアップする吉田流の手帳活用術は、古巣である大阪ガス時代に学んだもの

京都拠点、その理由とは。

「アミューズでは、「ローカルコンテンツ」の開発に携わっていました。OMS(=扇町ミュージアムスクエアの略)時代からたくさんの役者さんと接する中で、東京に行く人や辞めていく人を見る度に悔しくて。関西を拠点にする、ということを当時から意識していたんです。だから、結成当初より京都から発信していた「ヨーロッパ企画」(★7)に興味を持ったところもあります。もちろん、京都を拠点にしつつも、常に東京を意識していますし、京都と東京を往復することは今後も続いていくと思います。ただ、舞台の映画化をきっかけに地方からでも十分に勝負できると実感してからは、京都を拠点に活動することがひとつの強みになると感じています。最近では東京の役者さんをゲストに招いて京都で暮らしてもらい、京都での生活を楽しんでもらいつつ稽古をするという新しい試みを始めています。稽古が終わってから皆で飲みに行ったり、休みの日には自転車で京都散策をしたり(★8)。同じ釜の飯を食べて一体感を築き、じっくりモノづくりをする。これはヨーロッパらしいやり方です。そうやってここ京都で創り上げたものを東京に持っていく。東京に行かずに出来ることは、まだまだいっぱいあると思っています。上田がよく使う言葉を借りれば、「舞台って農作物に近い」感覚ですね。その土地でしか生まれない作品性ってあると思います。僕らは、京都でニョキッと育ったものを全国に売り歩いてる感じ、かなあ(笑)。」(吉田和睦)

諏訪雅氏が編集長を務める公演パンフレット「ヨロッパ通信」の最新号

 

 

 

★1 1985年3月、大阪ガスの遊休施設を活用して劇場だけでなく映画館・雑貨店・ギャラリー・レストランを供えた複合文化施設として開館。2003年3月16日、惜しまれながらも閉館。10周年記念事業の一環として1994年に創設された「OMS戯曲賞」は、時代を担う新たな劇作家の発掘を担うだけでなく、中堅劇作家への刺激を生む、関西発信の戯曲賞として注目を集めた。

★2 京都が生んだマルチな才能を誇る“マイブームの伝道師”みうらじゅん氏が、1999年4月28日~5月11日にOMSで開催した展覧会。単なる作品展でもなく、コレクション展でもない、バカネタ露出の「オレ御開帳アミューズメントパーク」として前代未聞の催しとなった。関連イベントとして、5月2日にKTVホール「なんでもアリーナ」において「みうらじゅん&いとうせいこう『ザ・スライド・ショー in 大阪』」も行われた。

★3 2001年8月初演後、2003年に再演。上野樹里×瑛太の出演で映画化され、ヨーロッパ企画の存在を全国に知らしめるキッカケとなった作品。映画公開に合わせて2005年には再々演し、初の本格的ツアー公演として、札幌・東京・京都・大阪・福岡を巡った。小劇場ならではの狭い空間を活かした、極めて日常的かつささやかなタイムトラベルを主軸とした物語。

★4 時代の「最先端=TIP」を走る、多彩なジャンルのクリエイターたちが一堂に会した。ほのぼの、にやにや、くすくす、ぷっ、どっと…「進化する笑い」をテーマに、2000~20001年に第1弾を開催。ビデオリリース、テレビ番組化、2年連続の東京公演を経て、2002~2003年には第2弾が実現。一筋縄ではいかないバラエティ豊かな面々が集合した伝説のイベントでもある。

★5 30回公演「ロベルトの操縦」の発表会は、去る2011年8月1日にMBSにて行われた。1年振りの本公演は「移動」をテーマにした群像劇。地元・京都でフランチャイズ提携している京都府立文化芸術会館で、のべ10日間に亘る劇場リハーサルを経て、名古屋・東京・大阪・福岡・広島を巡演した。小劇場公演には定評がある山本真由美と、『昭和島ウォーカー』(2008年)にも出演した中山祐一朗(阿佐ヶ谷スパイダース)を4年振りのゲストに迎えた。

★6 キャンペーンの一環として、映画の舞台として登場する喫茶「カフェ・ド・念力」が2009年10~12月の期間限定で京都・三条御幸町に出現した。「カフェ・ド・念力」は、登場人物であるエスパーたちが秘密のパーティを行う喫茶店。テーブルには曲がったスプーン&フォークがあったり、店内の壁には映画のプロモ映像が流れていたり、映画に登場したエスパー役の役者たちが不定期に店を訪れたり。加えて、店先の看板は映画で実際に使用されたものと、小技が効いたイベントスペースだった。

★7 同志社大学の演劇サークル「同志社小劇場」内ユニットとして1998年に結成。諏訪雅氏が、上田誠氏・永野宗典氏を誘って旗揚げした。2002年からは京都だけでなく東京・大阪での上演を開始し、2004年には現在のメンバーが揃う。2007年上演の『火星の倉庫』からは中劇場公演に移行。また、2008年11月にはパルコと東京グローブ座のプロデュースでV6の井ノ原快彦主演『昭和島ウォーカー』を手がける。2011年には再び井ノ原快彦とタッグを組み『芝浦ブラウザー』を上演。上田氏がシリーズ構成・脚本を担当したアニメ「四畳半神話大系」では第14回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門・大賞を受賞するなど、それぞれが個別に活躍の場を広げているのも注目すべきところ。

★8 第30回公演『ロベルトの操縦』(2011.8.21~10.2)のパンフレットとして発行された「ヨロッパ通信」(諏訪雅氏が編集長を務める)では、客演の中山祐一朗氏(阿佐ヶ谷スパイダーズ)と山本真由美さんに対して代表メンバー5人がツアーコンダクターとして「半日京都お楽しみコース」をプレゼンした様子と、ふたりが選んだコースを実際に巡る「ヨロ通しか載せない!京都案内」を掲載。彼らならでは、の企画だ。

プロフィール:
text:山田 涼子(やまだ りょうこ)
しがないモノ書き、ときどき国語教師。様々な媒体での執筆はもちろん、テレビ番組のリサーチ、京都特集のコーディネートなども請け負いつつ、「椿屋」として展覧会やイベントの企画・運営も手がける。
「椿屋」http://tsubakiya.gozaru.jp/

Photo: MATSUMURA Shina
SOHOでデザインの仕事をしながら、写真展などの創作活動中。
「torico.」http://torico.petit.cc/

PROFILE

吉田和睦 - Kazuchika Yoshida

ヨーロッパ企画/株式会社オポス 代表取締役
1972年、奈良県出身。大阪ガスでの営業マン生活の後、当時、関西の演劇シーンを支えた劇場「扇町ミュージアムスクエア」の運営に携わる。「笑い」をテーマにしたノンジャンルイベント「TIP COLLECTION」のプロデュースで注目を集めた。ヨーロッパ企画との出会いは、2001年8月に上演された『サマータイムマシン・ブルース』の初演。集団としてのユニークさに惹かれ、ジャンルレスな新しい表現の魅力を感じ、彼らとの交流が始まる。株式会社アミューズでの修行を経て、ヨーロッパ企画のマネージメントを担当し、現在に至る。
「ヨーロッパ企画」(http://www.europe-kikaku.com/)

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